少しだけ、本音を。やや備忘録めいているけれど。
辞職願を書いた。
自分にとって、忘れられない「辞める」がある。
1度目は、小学生のとき。
小学5年の冬に野球部を辞めた。両親が離婚して、母親が働かなければいけなくなり、仕事の都合で保育園に弟を迎えに行けなくなった。それなら、俺が迎えに行くよ、と母に告げたが、そのためには野球部を辞めなくてはいけなくなった。ヘタだけど好きで続けてきた野球部を辞めることが悔しくて情けなくて、しかし、「両親の離婚」ということはもっと恥ずかしくて言い出せなくて、結局、監督には「練習がキツくてついていけません」と嘘をついた。
監督から「6年になったらレギュラーになれるのに、もったいない、頑張れないのか」と言われた言葉は今も自分の宝物。ライトで8番。仁井田小学校野球部、ライパチ沼谷純は、叶わなかった自分。
あのとき、野球を続けられていたら、どうだったのかな、と今もふと思う。
2度目は、37歳のとき。
県庁を辞め、政治の道に進むことを決意した。母にそのことを告げると、さめざめと泣いて、「政治の家系でもない母子家庭のおまえが政治なんて出来るわけないだろう。公務員の安定を捨てて選挙に出るなんていうのは頼むからやめてくれ」と懇願された。頑固な自分は「落ちたら貧乏だったあの頃に戻るだけで、またゼロから始めればいいじゃないか」と言って、辞表を出した。そのとき、会議室に私を呼び出し、泣きながら私の辞職を引き留めてくれた上司のことは一生忘れない。
3度目は、今。
自分が県議会議員としてどこまでやれたのかは分からないけど、自分のような何もない人間に、秋田という故郷はチャンスを与えてくれた。そのことに恩返しがしたいと思って、この10年必死にやってきた。
まもなく、エンドロール。情けないけど、辞職願を書く手が震えた。けれど、始めるための終わり。最後の最後まで、手抜きせずにやりきろうと思う。
人はいつからでも、どこからでも始められる。
そう信じて、これからも生きていきたい。