「リーダー」、「リーダーシップ」、この言葉が今日も新聞紙面上を賑わせている。
リーダーにふさわしくない、とか、リーダーシップがない、というような表現は、一見解るようで、しかし、非常に曖昧で抽象的だ。
今、日本の政治にリーダーがいないのだとすれば、それは、「リーダー不在」なのではなく「リーダー像の不在」なのかもしれないとも思う。
リーダー像は、時代や状況、置かれた組織などによって大きく異なるだろう。
内閣総理大臣に限らず、国会議員はその一人ひとりが、それぞれの地域で選ばれた、まさに政治の代表であり、その地域のリーダーでもある。
今、私たち国民が、国会や国会議員、そしてそのトップである総理大臣に何を求めるか、その点を問い直していかなければ、民主党であっても自民党であっても、誰が総理大臣になっても「リーダーシップがない」と言われてしまうのかもしれない。
ただ1つ言えるのは、今は、「平時」ではなく「戦時」だ。平時のリーダーと戦時のリーダーでは、求められる資質は違うだろうし、最低でも、「エネルギー」と「財政」と「復興」と「社会保障」という4方面作戦を同時進行し、解を見つけ出し、国民を導いていくというのは、これまで誰も経験したことのない「戦争」であり、至難の業だということだ。
その昔のリーダー、後藤新平が復興を指揮した関東大震災、あの時代には、原発はなく、放射能汚染もなかった。国に1000兆円の借金はなかったし、今のような高齢化社会でもなかった。
どの党の誰がやっても、「勝利の方程式」や「過去問」がない闘いに挑まなければならない。
その覚悟は、リーダーになる側も、そして、国民の側にも必要だと私は思う。
さて。
振り返って我が秋田県。
まもなく9月定例議会が始まる。今週木曜日には、県当局から議会側に9月議会の案件の内示が行われる。
議会側は、この当局からの内示を受けて、その内容についてのチェック・審査に入る。正式な開会日は9月9日だが、言わば、この内示が実質的な議会のスタート地点となる。
中身の濃い、真剣勝負の議会になるよう私も努めなければならないが、既に県当局のほうで何やら他の多数会派への根回し的な動きがあるようだ。
国会と違い、秋田では「ねじれ」もなく、社会保障や税制など「痛い議論」は国に任せているわけだから、あまりそうした水面下の動きなどせずに、秋田の沈滞感を打破するような政策的な議論を堂々と議会の場でやりたいものだ、と思うのだが。
佐竹知事は「大連立」に否定的で、健全な議論のためには批判的な勢力があるほうがよい、とのお立場のようでもあるし、予算提案権は知事の専権事項でもあるから、ご自身が信じる「これぞ」という予算を正面から出していただけることを、私としては期待している。
政務調査費の問題も9月議会中に一定の目途をつけなくてはいけないが、今日の地元新聞紙にも大きく取り上げられていたように、チェックのための「第三者機関」設置を提案させていただいている。
記事にあった、「既に導入済みの東京、大阪、北海道」なども、実は年間経費は100万円に満たない。海外調査を廃止すれば、その分の予算を捻出してもお釣りが来るから、新たな財政負担は生じない。
国政だけではなく、県政も、それをリードする立場の方々が、どのようなリーダーシップを発揮するか、県民の皆さんは注視しておられるはず。
議会は、自らのチェックと、そして県政のチェック、この仕事をきっちりとやっていくことが、県民の皆さまのが望む「議会のリーダーシップ」だろうと思っている。