週末、ある方の葬儀に参列しました。
私は昨年末で県庁を退職し、年明けから、選挙に向けた活動を開始しました。
しかし、全くの無名であり、地盤も看板もカネもない、という中で、毎日いろいろな縁や昔のつてや、知り合いの知り合いを辿りながら、とにかく一人でも多くの人に会い、自分を知ってもらうということが活動の中心になりました。
想像していたこととはいえ、飛び込み営業の経験もない、政治の経験もない自分にとっては、そうした活動は精神的にもかなりキツイ日々でしたし、当たり前ですが、厳しいご意見などをいただくことも多々ありました。
私が葬儀に参列した方は、そういう2011年の冬を越えていく中で、私としては一番キツイ時期に差し掛かっていたときに、私に温かい言葉をくれた方でした。
私はそれが本当に嬉しく、当選をさせていただいてから、その方に早速ご挨拶に伺ったところ、「体調を崩して入院している」とご家族の方から伺いました。
温かい言葉をいただいた、その気持ちに応えるような仕事をしていくことで、恩返しをしていこうと思っています。
自分のクローゼットに、1枚の赤いジャンパーがかかっています。
議員になってから、ほぼ毎日、背広を着て外に出ているのですが、そのジャンパーは背広と一緒に並んでいます。
「なれあい議会を変える」
選挙のときに着たジャンパーです。
無名の新人が当選できたのは、あるいは、温かい言葉をいただけたのは、ひとえにそのジャンパーに刻んだ言葉ゆえ、であったと思っていますし、毎朝、そのジャンパーがいやでも目に入るので、そのたびに「大丈夫か?自分は初志貫徹できてるか?」と自問自答しています。
敢えて、物議をかもすような手法や発言をしている面もありますが、そうでもしない限り、長い間に作られてきた慣習や関係というのは簡単には変えられません。
さて、金曜日には私にとっては、二回目の総括質疑が行われます。
数分という時間の中で、何を言い、何を引きだすか、試合に臨むボクサーのように、言葉をギリギリまで減量し、しかし、真剣勝負に必要な言葉の体力は残しておかなくてはいけません。
何日も、何週間も準備をして、数分に凝縮していくという作業は、一般質問や委員会審査にはない大変さではありますが、それを通して、自分の主張や言葉もクリアになるようにも思います。
一言、一秒にこだわった総括質疑を今回も目指します。
小原議員、お互いに頑張りましょう。
108万県民のために言うべきだと信じることは、その場に居並ぶ方々誰一人からの同意がなくても言わなくてはいけない、少数野党の気概を持って臨みましょう。