知名度や人気がモノをいう東京都知事選挙。顔触れが決まったようだ。
一言で言えば、新鮮味のない、世代交代とは無縁どころかむしろ逆行さえしている面々だ。秋田ではあるまいし、日本の人財や頭脳が集う首都で、「我こそは」と名乗りを上げる現役世代、有力なリーダーが1人もいなかったことに正直失望している。日本の首都でさえ人材不足ということか。背筋が寒くなる。
しかし、その中で唯一の救いは、原発政策が再び問われようとしていることだ。
自民党政権に戻り、原発は廃止から存続、そして推進へとこの一年で見事にギアチェンジされたが、果たして国民のどの程度がそのことの重さと将来世代への責任を胸に刻み込んで、納得をしたものか甚だ疑問であると言わざるを得ない。
そうした中で、ヒト、モノ、カネ、食料、エネルギー、あらゆるものの大消費地である東京において、原発が問われることの意味は大きいと私は思っている。
いくら秋田が、あんべいいな、とか、「高質な田舎を目指す」などと言ってみてもこれが知事の単なる独りよがりになっては目も当てられないわけで、価値観やライフスタイルの転換、まさに「知足」の心を日本人全体が取り戻してこそ、秋田に光も当たるというものであろう。
飲み込み、吸い込み、ひたすらに消費を続ける東京の繁栄が、地方の疲弊と衰退の上に出来上がった楼閣ならば、原発こそはその楼閣の危うさを象徴するものだ。東京都民が原発との訣別を選ぶことが、都市と地方の歪んだ関係をただす最初の一歩になる、そんな微かな期待だけは抱いて都知事選の行方、都民の選択を見守りたい。単なる人気投票、批判合戦だけには終わらせてくれるな。原発推進を唱える政党が支持する候補者に一票を投じる方は、自分の家の隣に原発を作るつもりで投じてもらいたい。