一昨日、佐竹知事が秋田県の新しいマスコットキャラクター(「ゆるキャラ」と言っていいのかどうかは分からないのだが)を発表した。
既に新聞やテレビで報道されているので、そのキャラクターデザインをご覧になった方も多いと思うが、近未来からやってきたロボット型のナマハゲだそうだ。
そういう設定はドラえもんのようだし、デザインは子どもに大人気の妖怪たちをどこか彷彿とさせる。もちろん、どこかのデザイナーのような盗作疑惑というようなことはないかと思うが、これまでも様々な場面やバリエーションで繰り返し使われてきた、秋田で一番の有名人をここで再度起用したということだから、どこか「既視感」が付きまというのもやむを得ないだろう。
行政の様々な事業や施策を、できちゃったからしょうがない、決まっちゃったからしょうがない、というふうに次々と受け流していくのは簡単なのだが、少なくとも私の職業的立場としてはそうではないだろうと思うし、6月議会でもこの問題を取り上げた者として、事実と私の考えをここに書いておこうと思う。
今回の発案のそもそもは、佐竹知事だろうと思う。
スギッチでは「ゆる」すぎて、動くも走るも握手もままならない、しかもしゃべることすらないわけで、これではコミュニケーションには難儀がある、というところまでは私も理解をする。
そこで、「新たなキャラを」となったわけだが、日本国中、ゆるキャラだらけの中で、今、行政がキャラを新たに作ることの意味やコスト、メリットが十分に練られたというふうには私は受け止めていない。
必要性の議論を飛ばして、「新キャラを作ること」が出発点になっていたのではないか。
そのことを横に置いたとして、その製作過程が私は残念でならない。
今回のロボット型ナマハゲは、埼玉県の着ぐるみ製作会社が複数案デザインを示して、その中から、有識者?や行政関係者で選んだということになっている。
今回の着ぐるみ製作は、コンペによって製作会社が決まった。コンペの条件の中には、「エアー着ぐるみをデザイン・製作する」という条件が入っていた。この「エアー着ぐるみ」というのは、着ぐるみの背後に送風機がついているもので、そこから風を送り込み、着ぐるみを膨らませる構造となっている。風船のようなもので、使うときには風を入れて膨らませ、持ち運ぶときには萎ませておけば良いから、持ち運びも便利だし、使うときには軽くて動きやすいというメリットがある。
このエアー着ぐるみ仕様にしたいという考えもある程度私は理解するが、残念ながらこのエアー着ぐるみを作れる会社は秋田県内にはないし、全国的にもそれほど多くない。
つまり、エアー着ぐるみを製作できる能力を自社で持っている会社は、秋田にはないということだ。必然的に、このコンペに秋田のデザイン会社が参加しても、着ぐるみ製作そのものは他社への外注ということになる。自社で作るよりは当然、発注コストのぶん割高になるだろう。
こういう状況において、県がコンペにおいて、デザインと製作を分離せず、1つのコンペにしたことは私には不思議でならない。
県は中小企業振興条例を制定し、それに先立ち、コンテンツ産業の育成も大々的に掲げてきている。こういう中で、なぜ、秋田のデザイン会社がコンペに参加しづらい条件・障壁をわざわざ設けうのか。デザインと製作が1つの会社で行われなければならない特殊な事情が「エアー着ぐるみ」にあるとも思えない。
秋田の企業、もっと言えば、秋田公立美術大学の学生などにも広く門戸を開いて、秋田の次の10年、メインで活躍してくれるキャラクターを、「自分たちの手で」どうしてデザインさせようと考えなかったのか。
もちろん、コンペからは県内企業は排除されていないのだから、参加はできるし、参加した県内企業もあったわけだが、製作も一体となっているコンペで、製作実績などを評価基準に加えられてしまえば、純粋なデザイン勝負にはならないことは明白である。
秋田のゆるキャラぐらい、どうして自分たちの手で作れないのか、他県から輸入しなければならないのか、不思議でならないし、このロボット型ナマハゲを「食いしん坊で活発」などと笑顔でプレゼンする佐竹知事の目に、秋田の中小企業は本当に映っているだろうか、と思わずにはいられない。そして何より、飽和状態のゆるキャラ市場で、このような新鮮味のないキャラが生き残れるか、大きな懸念を覚える。思い切り、大胆さ、斬新さがないこのキャラがある意味で、佐竹知事の県政運営の象徴とならないことを祈るばかりだ。