結果がどうなるかはさておき。
私は今、政府が行っている、将来的なエネルギーのあり方に関するこの世論調査に非常に関心を持っている。
その手法について、である。
今回、原発比率について、0%、15%、20〜25%の3案を示し、そのいずれかを選択するという形でこの調査が進められた。
私は、こうした「選択肢」を示しながら進める政策、あるいは政治判断というのは非常に適切だと思う。
国政レベルでは、様々な事情・構造があり、単純な選択肢で物事を判断できない面も多いだろうとは思うが、難しい課題であるときほど、こうした手法を取り入れたことを評価したいと思う。
さて。
これが地方自治だったらどうか。
医療・福祉、雇用、子育て、教育など、住民の方々に身近な政策ばかりである。
これらについて、負担とサービスの割合を何パターンか示し、その中から住民の方々に選んでいただくという手法は実に有効ではないだろうか。
企業が商品開発をする場合には、当然、試作し、何度もそれを社内で試食をしたりしながら、商品としてのクオリティを上げていくわけだが、最終的には、その商品を「いくらだったら買うか」、「いくらまでならお金を出すか」という、マーケティングリサーチ、商品価値設定をしなければならない。
どんなにおいしいお菓子を作っても、それに見合う対価を消費者が支払う価値があると判断してくれるかどうか、が最終的に最も重要なことは言うまでもないし、もし、価値がない、となれば、コストを下げてより安い商品として売るか、そもそも商品化を諦めるか、といった選択が出てくるだろう。
同様に、政策であっても、1つの行政サービスについて、A水準、B水準、C水準という3つのサービス水準を示し、それに対する財源や課題などを加えて、住民の皆さまに選んでいただく、ということが必要ではないだろうか。
こういう政策立案、形成の過程に、「選択肢」という形で民意を取り入れていくことがこれからの地方自治にとっては必要不可欠だと思っているし、このことは私の政治的スタンスの根幹でもある。
複数の選択肢、そこからの比較検討、そして決定、その説明責任・・・・こうしたプロセスを議会の場において県当局とは徹底的に議論していきたいと思っている。
竿燈も今日で3日目となりました。
年々、賑わいを見せているのが、屋台村。
従来からの、市役所横、旧産業会館跡地に加え、昨年からは旧ダイエー跡地でも県内各地のご当地グルメを持ち寄っての屋台村が開設され、多くのお客さんが訪れています。
県庁職員時代、1年だけでしたが青森県庁に派遣されていました。
青森では、ねぶた祭りが終わればもう秋、と言われるほどに夏が短く、そのぶん、ねぶた祭りにかける思い、盛り上がりはなかなか凄まじいものがあります。
ねぶたと竿燈、祭りそのものを単純に比較することはできませんが、1つ、決定的に違うのはこの「屋台村」の存在です。
ねぶた祭りは、JR青森駅前から続く商店街と、そして県庁・市役所などの官庁街を、ぐるりと一周するという運行経路になっていますが、その運行経路の両側や、近隣には大きな空き地がなく、屋台は並びますが、エリアとしての「屋台村」はなかなか難しい状況にあります。
ひるがえって、竿燈祭りでは、前述のようにあちこちに大きなスペース、跡地があり、これが今活用されているわけです。
「跡地」の存在は、本来、市街地の空洞化を示すものなので、歓迎すべきものではないのですが、こうした時にはにぎわい創出の場として有効であるようです。
私は、この20年の県都秋田市のまちづくりは失敗したと率直に思っています。
いろいろな要因・事情があるとしても、様々な機能が郊外化し、車社会に拍車をかけ、市街地の空洞化に拍車をかけてしまった。
もし、今から、ゼロから、秋田市のまちづくり、そのグランドデザインができるとしたら、自分ならどんなまちづくりをするだろう、どこにどんな機能を配置し、どう集約化・効率化するだろう、環境や歩行者に優しいまちづくり、をどこまでできるだろう、と考えることがあります。
現実にはそのようなことは難しいわけですが、そうした視点で、この「跡地」を見ていくと、単なる「空洞化のシンボル」ではなく、街のリノベーション、まちづくりのキースポットとして捉えることができるのかもしれません。
空いている場所があるからこそ、そこに都市機能を再配置させる、あるいは、拡散した機能を再集約できる、ということにもなるでしょう。
そんなことを考えながら、今年も少しの時間でしたが、屋台村を私も楽しませてもらいました。
明日が最終日、最後の盛り上がりを期待したいと思います。
今日も毎月定例のまちなか座談会を開催しました。
県民の皆さまが、何かを言いたい、困ったことがある、こうして欲しい、などと政治・行政に対して何かを伝えたいときに、伝えたい側が、「これは市役所か」それとも「県庁か」と足を運んだり、窓口を探したりするのが通常でした。
私たちは、その常識を変えたい、という気持ちからこのまちなか座談会を始めました。
国政・県政・市政、の区別なく、いろいろなことを自由にお話いただいて、お話を受けた我々のほうが、その内容に応じて、国会議員・県議・市議がそれぞれ対応する、ということです。
未だ、改善すべき点はありますが、ある種の「試み」としては良い結果を残せているのではないかと思っています。
政治と生活、政治と暮らしの間の距離を縮め、しっかりと有権者の皆さんと向き合う、選挙の時だけではなく、そういう真剣な向き合いを続けていく、ということの想いは参加してくださっている県民の皆さまにも伝わっているのではないかな、とささやかな自負心を抱いています。
座談会も2年目に入りました。
今、県議会の中では、議会運営委員会によって、議員報酬と議員定数をどうするか、という議論が続いています。
多くの方々の意見が、「自分たちの仕事をしっかりと県民の皆さまに知っていいただくことが必要。議員報酬を下げればいい、議員を減らせばいい、という声もあるが、我々の仕事の内容・量をわかってもらえればそれは違う、ということになるはずだ。」といったものです。
私自身、「知っていただく」ということに全く異論はありませんし、どんどんと県議会を開かれたものにしていきたいとも思っています。
しかし、その「開く」努力が、議会側からの県民の皆さまへの説明、アプローチが、十分か、と言われれば残念ながらまだまだであると思っています。
解っていただく、知っていいただく努力を議会側が最大限行う、その上で、議員報酬や定数の適正水準を、議会側が堂々と県民の皆さまに説明する責任を負っているのだと思っています。
政党として、ではなく、県議会として、「座談会」や「移動議会」を行いながら、県民の皆さまと向き合っていくことが必要ではないでしょうか。
議員の報酬や定数を、議会が議会の中だけで議論して決める時代はもう終わった。
そのことを強く思います。