ブログ

幹事長辞任。

2015年05月07日

 県議選、そして秋田市議選が終わり、怒涛の「選挙月間」であった4月も終わりを告げた。

 自分自身の選挙結果については、以前のブログで書かせていただいたので横に置くとして、秋田市議選については、民主党として現職・新人合わせ3人の公認・推薦候補を擁立し、結果、3人全員が当選することができた。

 このことは、本当にありがたいことであり、ご支持・ご支援くださった多くの方々に幹事長として、心から御礼を申し上げたいと思う。

 今後、民主党を含めた野党がどのような形でどう歩んでいくのか、について確定的なことを言える立場ではないが、少なくとも野党共通の課題として「地方でどう戦うのか」「地方にどう足場を作るのか」ということがあり、政党としてはそのための統一地方選挙であったことは間違いない。

 もちろん、有権者の皆さまからすれば、そうした政党間の力学というよりは、まさに自分が住んでいる地域の課題を誰がどうやって解決してくれるのか、その実行力や政策力を誰が持っているのか、という属人的要素での投票行動という要素も大きかったことだろうとは思うが、そうした選択に応えうる地方議員を政党として議会の場に送り出す、ということの意味は決して小さくないと私自身は思っている。

 その意味で、わずかではあったが、この県都秋田市においては民主党の地方議員を増やすことができたことはありがたいことであるし、新人候補が善戦し、良い選挙結果を出し、そのことを糧として、議会の場で市民の皆様の期待や付託に応える仕事ができるよう精進していってほしいと思う。もちろん、私自身もそうした引き締まった気持ちで県議会に向かうべきであることは言うまでもないことだ。

 他方、全県的に見れば、県議選では、結果として自民党の「一強議会」をより強める結果となったこと、民主党としては新人候補の擁立も思うようにいかず「不戦敗」の選挙区を多く作ってしまったこと、現職県議を失う結果となったことなど、政党としては多くの課題を残した「敗戦」であったと私自身は受け止めている。

 年末の衆院選から続く一連の選挙について、早急に検証・分析を行い、今後の国政選挙等に向け対応策を講じていく必要があるが、そのためにも幹事長として衆院選・統一地方選を指揮してきた私自身の「けじめ」をつけるべきであると考え、秋田市議選が終わった時点で、幹事長辞任を松浦代表に申し出、了承をいただいた。

 私自身、職を離れても、今までの主張、思いをブレることなく貫いて、党のためにも尽力していきたいし、私自身も政治家として研鑽を積んでいこうと思う。

決意を新たに。

2015年04月15日

 9日間の選挙を終え、本日、当選証書を県正庁にていただいてきました。

 私のような若輩者を再び県政の場に送り出していただき、ご支持・ご支援いただきました多くの皆さまにこの場を借りまして、心から御礼申し上げます。

 こうした御礼をしっかりと言えるようになったことは、非常に複雑で中途半端な「ネット選挙解禁」の流れの中ですが、ありがたいことです。

 振り返れば、私にとっては、2期目を目指す選挙ということで、本当に難しい選挙でした。国会議員のように華やかでもなく、市議会議員のように身近でもない、と言われる県議会議員。とかく、仕事や役割が見えづらいと言われる県議会議員としての4年間が、どのように評価されるのか、あるいは評価されないのか、そのことが自分自身としても全く分からず、正直、選挙が近づくにつれ、不安な気持ちが募っていました。

 終わってみれば、私としては望外の得票であり、このことはむしろ、有権者の皆さまの県政・県議会への厳しい目線というものの裏返しであると感じています。自転車で選挙をやり、秋田市内を自分の声と脚で廻り続ける中で、佐竹知事の県政運営に対して「ちょっと違うんじゃないか」「緩みや驕りが出てきているのではないか」というお声を多くいただきました。そして、それは裏を返せばそのような県政運営を許してしまっている県議会のあり方というものに対する、有権者の皆さまの厳しい目線というものがあったとも感じました。その意味で、県政に緊張感を、と訴えた私自身が、一期目以上に緊張感と責任感を持って、県政に向き合っていかなくてはならないと決意を新たにしているところです。

 一方で、私を含め、全ての当選者が重く受け止めなくてはいけないことは、止まらない「低投票率」ということです。この原因は、政権や政党、政策を選択する国政選挙と異なり、候補者個人を選択する傾向が強い地方議会の選挙において、各候補者がほとんど差異のない政策や理念を語り、言葉だけが踊っているように有権者から見られていることに大きな要因があるのではないかと私自身は感じています。

 自分たちの暮らしや街、仕事や子育てに深く関わる地方議員の選挙だからこそ、政策や事業について、各候補者が具体的に「賛否」や「意見」を明らかにして選挙に臨むことが必要ですし、アレもコレも、ではなく、アレかコレか、という取捨選択を有権者の皆さまにしっかりと示すことで、有権者の皆さまの関心や投票意欲を高めてもらえるのではないかと考えています。

 いずれにしても、民主党会派としては、現職議員が落選するという大変残念な結果となりましたし、思うように候補者擁立作業ができなかったことも事実です。私の選挙区であるこの秋田市選挙区においても、ギリギリまで新人候補者擁立を模索しましたが、結果として擁立することができませんでした。

 私個人としても、政党としても、もっともっと力を蓄え、政策を練り、存在感を高めていく努力を続けていきたいと思います。

 今後とも、皆さまのご指導・ご支援を心からお願い申し上げます。

議会の存在価値。

2015年03月17日

 更新が滞っている間に2月議会が終わり、私自身が審判を受けるまであと3週間あまりとなった。

 4年前、初めて挑戦したときには右も左も解らぬまま、無我夢中で自転車をこぎ、私には分不相応なほどの大きな期待をいただいたが、今回はそうはいかないということを肌身で感じている。

 政策的なことだけではなく、議会改革なり行政改革なりも含め、さらに言えば、政治家沼谷純の4年間の日常や言動全てが、評価の対象になると覚悟している。

 今、ささやかに地域の方々と会を重ね、その都度、お話させていただいていることは、我々政治家は自分自身が「商品」であり、手に取ってもらい、選んでもらえる商品でなければならないということだ。

 政治家は、食べることも、使うこともできないし、効能もスペックもない。選挙の時になれば皆耳障りの良いことを言い、選挙が終われば活動実態はよく見えない。しかし、それでも、そういう商品を、一票という投票行為によって、言わば「購入」してもらわないといけない。

 私自身が、「選ばれる商品」であるかどうかが問われることはもちろんだが、無関心・無競争という状況の中で、地方議会そのものの存在価値・商品価値が問われているとも感じている。

 個々人としての当落を超えて、そこに挑む者は何よりもまず「議会の存在価値」というものを有権者に示すことが必要だろう。

 佐竹県政下での6年間、年間6000億の予算を一度も修正することなく、丸呑みしてきた「オール与党」議会に対する有権者の審判というものを、私自身の言葉と身体全てを使って仰ぎたいと思う。

 だから、というわけではないが、今回も自転車で戦ってみるつもりだ。

 責任世代として、お金がなくても、看板がなくても、地盤がなくても、「情熱と努力」があれば地方議員ぐらいにはなれる、という戦い方を次の世代に伝えることができればと思っている。

 

カレンダー
2024年4月
<<3月   5月>>
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
最新の記事
カテゴリー
アーカイブ

沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職し、秋田市長選挙に挑戦。
令和5年4月
政治家として再始動を決意。
現在
秋田市横森在住。

詳しいプロフィールへ

事務所ご案内

〒010-0965
秋田市八橋新川向13-30

TEL 018-883-3383
FAX 018-883-3384

Googleマップへ