原発解散、といった憶測が流れている。
自民党谷垣総裁も、「受けて立つ」旨の発言をされたようだ。
政局がどうなるかはさておき、今、日本が大きな転換点に来ていること、そして、国民的な議論や合意がなくては、その転換点をいかなる方向にも越えていけないことだけは確かだ。
今、日本は「電力」に揺れている。
産業界は、風力や太陽光の「全量買い取り」には慎重、というより、慎重を超えて反対と言ってもいいかもしれない。
発電コストが高く不安定な風力や太陽光を電力会社が買い取ることで、電力料金が値上がりし、企業の生産コストが上昇し、競争力を失うという理由のようだ。
一方で、原発不要論を唱える人もいる。
原発がなくても、火力発電その他既存の電力をフル稼働させれば、日本の電力需要を十分に賄える、という理由のようだ。事実、先日の真夏日でも原発が稼働していないにもかかわらず、電力は間にあったではないか、といった具合だ。
私は、どちらも一部は正しく、一部は間違っているような気がしてならない。
企業の生産コストの上昇は税制その他の優遇措置や、企業自身のイノベーションによっても抑えることは可能である。原子必要論には直結しない。
逆に、既存の電力で賄える、という論も、やや机上の空論じみて俄かに信じることは難しい。
ただ、ヨーロッパでは既に、この「全量買い取り」制度は当り前に導入されているし、発電・送電部門の分離や電力市場自由化なども実施されてきた。
未だ日本は、発電・送電が独占状態にあり、風力発電に参入しようとしても、結局、風車で発電した電気を、電力会社に送電して買い取ってもらわないとどうしようもないから、結局、電力会社の意向や許可がなくては、風力発電に参入できない。
端的に言うと、風力発電をやりたい事業者は、電力会社に申し込む(応募する)、そして電力会社がその応募者の中から「抽選」で、事業者を決定するのだ。
東北電力管内では、平成20年度には110件を超える応募があり、結局、当選したのは12件。
実に倍率10倍である。
こうした、「電力の入口と出口」を独占する電力会社が、一種の参入障壁になっていることで、風力発電が進まないという側面もあるのかもしれない。
そしてまた、電力会社の情報公開という面においても、十分ではない。
日本にはどのぐらいの発電能力があり、火力その他の発電設備がどのぐらいの稼働状況にあり、日本の総需要量に対してどの程度の余力があるのか、原発の発電量はどの程度なのか、といった当たり前の情報が国民に対して十分に公開されているとは言い難いからだ。(電気事業連合会のHPをご覧いただくと、入手できる情報もありますので、興味がある方はそちらをご覧ください。ここでは数値の羅列などは控えます。)
だから、「脱原発」したときどうなるのか、「節電」が本当はどの程度切迫性があるのか、といったことがわからず、国民全体が疑心暗鬼になっている。風力や太陽光の可能性についても懐疑的になっている。
原発解散したとしても、このままでは、国民は判断材料もないまま、その「一票」の権利は行き場を失い漂流するのではないかと私は危惧している。
東電の株主総会も大荒れだったようだが、解散するにせよしないにせよ、やはり政府が、「時間がかかっても原発高校を卒業し、自然エネルギー大学に入学します」ということについて、正しい情報、国民が判断できる材料をしっかりと提示していくことが必要ではないか。
判断材料を提示すればするほど、長年にわたる我が国の「電力」をめぐる様々な既得権益やしがらみ、勘違いや思い込みが明らかになっていき、「脱原発」や「再生エネルギー法案」というものの重さ、価値がハッキリとしてくるのではないかと思う。
特に、これまで首都圏や工業地帯に、水と電気と空気と人材を供給しつづけ、代わりに二酸化炭素と交付税や交付金をもらってきた、我が秋田県のような地域にとっては、自分たちが供給してきたものの価値の高さを確認し、そして、自分たちの存在価値を高らかに宣言する絶好の転機となるはずだ。
秋田県においても、これから本格的な、県民挙げての節電時期に入る。
15%の節電、このことをやっていくことになる。
県民の皆さまに対する説明責任、普及啓発の義務は県政にももちろんある。
梅雨が明ければ夏がくる。さて、県・市町村の節電への呼び掛け、啓発は十分か。そして県民の皆さまにしっかりと届くか。
そのことを来週、議会の場で議論したいと思っている。