いろいろ報告すべきことが溜まっているのですが、順不同、かつ、前段を飛ばして報告してまいります。
数日前にさかのぼることをお許しください。
仙台での、民主党地方議員研修会。
いくつか、テーマを設けて、ディスカッションが行われました。
「エネルギー政策の転換」
最近、このエネルギー問題について、報道されない日はないぐらい、若干、食傷気味な話題かもしれませんが、そうはいっても、今この話をしないでいつする、というタイミングでもありますので、懲りずに書きます。
東北大学大学院の長谷川教授をお迎えして、議論が行われました。
原子力か、火力か、自然エネルギーか、といった「選択的」な議論がよくありますが、今の日本のそれぞれの電源の発電量と、その稼働率について、次のような数字が示されました。
原子力 発電量 3000億kwh 稼働率 70%
火力 発電量 5800億kwh 稼働率 45%
つまり、火力発電のほうが発電量は多いが、その発電能力の半分しか使っておらず、原子力は7割使っているという意味になります。
東北電力管内に限れば、原子力の稼働率はほぼ同じですが、火力はわずか17%、そして、再生可能エネルギーが44%となっています。
長谷川教授が示されたこの数字が正しいとすれば、少なくとも東北電力管内では、火力の稼働率を6割弱に引き上げるだけで、原子力の発電量を補える計算になります。
菅総理大臣が民間大手企業などの自家発電設備、「埋蔵電力」の把握を指示したようですが、火力発電の稼働率を上げることも、今後検討されるべきでしょう。
また、今、節電についても、長谷川教授は、「日本全体で5%節電すると原子力7基分の電力が不要」と示しました。
節電と、火力発電の稼働率向上で、「原子力なき日本」が数字上は達成される見込みになります。
さて。
このことについて、東北の地方議員が集まり、議論が行われました。
同じ原発を抱えていても、避難所生活を余儀なくされた福島の議員は、「脱原発」すべきと訴えましたが、青森の県議会議員は、「原発立地地域の雇用や、自治体の財政的な問題、地元のこれまでの原発推進の取組などはどうするか」といった慎重な意見を述べていました。
結局、この議論の中では、原発をどうすべきか、あるいは、その代替エネルギーをどうするか、ということについて統一的な結論を得ることはできませんでした。
この東北でさえ、民主党地方議員の集まりの中でさえ、「脱原発」という方針を合意できないほど、「原発」は難しさを抱えているということなのでしょうか。
しかし、1つハッキリしているのは、原発は、単に「原発立地地域」と、「電力消費地である首都圏」などとの相対の関係ではないということです。
福島で作られた電気が、関東の暮らしを支え、その見返りとして、国からは莫大な電源立地交付金が福島に払われている、といった関係で続いてきたこの原発推進政策が、ひとたび、こうした事故があれば、牛であれ、灰であれ、日本全土に原発の被害が及ぶということが明らかになったわけです。
原発立地地域に暮らす人だけが、原発リスクを背負っているわけではなく、複雑な生産や廃棄のシステムの中で、日本人全体がそのリスクを背負っているわけです。
このことを考えたとき、本当に原発をどうするのか、ということについて、節電という国民のライフスタイルの転換も含めて、かなり大きな国民的な判断を得なければならないだろうと、改めて思っています。
また、自民党に対する個人献金額の72・5%が東京電力など電力9社の当時の役員・OBらによるものであった、といった事実も最近明らかになりました。
その意味では、原発をどうするか、ということは、まさに国民的な大問題であり、かつ、政治的な問題でもあります。
原発がないと困る、原発がないと日本の経済や企業活動が停滞する、原発がないと私たちの暮らしや電力料金に悪影響が出る・・・・
こうした、これまでの既成概念や、それに繋がる既得権益といったものを、冒頭の長谷川教授のように、数字を客観的に示しながら、一度、疑ってみることが必要でしょう。
原発がなかったら、本当に日本は困るのでしょうか。