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維新の会と守る会。

2012年02月11日

 2750人。
 大阪維新の会が始める「維新塾」への申し込み者が、1500人だ、2000人だ、と日を追うごとに多くなり、ついに締切日をもって、2750人というような状況らしい。

 維新塾に入るために必要なものは、「志」と「年12万円」だけらしい。
 全国から2750人ともなれば、その中に1人でも2人でも、「志」と「12万円」と「資質」を持った秋田の人間がいてほしいと率直に願う。

 もし、この中にただの1人も秋田の人間がいないならば、秋田の人間は、よほど、この「維新」の実態を冷静に見極めておられるか、よほど、チャレンジ精神に乏しいか、そのどちらかということになるだろう。

 国であれ、地方であれ、古びた政治家が壊れたレコードを再生するように、新しい政党や看板を掲げるよりは、新しい人間が新しいことに挑戦していける余地や素地があるほうがよほど良いと私は思っている。
 だから、「維新塾」という入口の良し悪しはさておき、その入口の前に立とうという人が、新しい人が、秋田にいてくれることは、私自身にとっても刺激になるし、秋田にとっても刺激になることだと思っている。

 最近、いろいろな方から「秋田にも維新の会みたいなのが必要だ」といったご意見や、「維新の会には期待している」といった言葉をいただく。
 橋下市長=改革者=都構想=維新の会、といった連想ゲーム的に、漠然とした期待感が全国的に広がっているということだろうと思う。
 さらに、一歩踏み込んで言えば、2750人の応募者が、みな橋下市長のような有能な改革者であるわけがなく、維新の会への期待感というのは、すなわち、橋下市長個人への期待感だろう。
 そういう意味では、既存政党を含めて、政党で選ぶという空気、時代ではなくなったのかもしれない。
 政党や看板ではなく、「改革者」たる政治家を選ぶ時なのだろう。

 橋下市長の主張「都構想」は秋田にはあまり縁のない話だが、もう1つの主張、「国の出先機関を廃止しろ、地方にやらせろ」というのは、秋田のような地方にも大いに関係のある話だ。
 県庁や市役所は、いろいろな面で市民の方々からチェックされる存在であるが、国の出先機関(農政事務所、ハローワーク、法務局、河川国道事務所などなど)については、市民の方々はその実態を全くチェックできないし、直接意見も言えない。
 言えないだけではなく、県や市町村でやったほうが早いもの、効率がいい仕事も多々ある。
 行革という意味でも、地域のことは地域で決める、という意味からも、出先機関は廃止すべきだと私自身強く思っている。

 しかし、一方では全国120名ほどの市町村長さんたちが「地方を守る会」という会を作って、「出先機関を廃止しないでくれ」という誠に情けない運動を展開している。
 つまり、権限を与える、と言われている側が、権限は要りません、と陳情してまわっている。
 地方に全部よこせ、大阪から国を変える、と鼻息の荒い橋下市長とはまるで反対である。
 「地方」とか「首長」とか一言で括られてしまいがちだが、実に様々な地方の姿があり、首長がおられる。

 さきほどの、2750名とは逆に、この120名の首長さんの中に、秋田県内の首長さんのお名前がないこと
をただただ願うばかりである。

 秋田から日本を変える、という気概を持った政治家の集団が在れば、それこそが、秋田における「維新の会」そのものだ。名称や看板ではなく、その中身が「誰か」、誰が何をやるのか、ということこそが大事だ。

 私は、県政と県議会を日本一開かれたものにしたい。
 そして、そのモデルが全国の地方に波及していけば、地方が変われば、日本が変わると信じている。
 私一人ではできないし、議員という立場上の限界もあることは確かだが、志を同じくする人達と、その目標に向かって1つ1つ活動していきたい。
 それは「民主党」という看板でもできることなのだから。
 国や地方を変えるのは看板ではない。政治家という人間である。 
 

 

 
  

与えられた仕事。

2012年02月09日

 寺田学さんが再び総理補佐官に就任されることとなった。
 税と社会保障について、そして、行革などについても担当されるという。
 岡田副総理の下で働くこととなるらしい。

 正直、他人事のように、やや呆れ半分で言えば、「よくまあ、次々と泥をかぶるもんだ」という感想である(苦笑)
 菅総理の下では、原発対応に追われ、若干のインターバルを置いて、次は税だとか行革ということだ。
 いずれの問題も、国民から広く評価される、支持される、という類の仕事ではない。
 どちらかと言えば、やってもやってもきりがない、対話に対話を重ねてもなかなか理解してもらえない、という、いわゆる不人気な仕事である。
 組織の人事とはそういうものだが、こういうキツイ役回りが次々回ってくるというのは、逆にそれだけ評価をされている証左でもあるのだろうとも思う反面、前述の「よくまあ」という感覚にもなる。

 いずれにせよ、政治家は、有権者から票を与えられ、その意志の代行者として仕事を与えられる。
 受動的な言い方にはなるが、政治家ほど「人から立場や仕事を与えられなけば」何もできない仕事もない。
 いくら自分が理想に燃えたところで、日本を改革したいと叫んだところで、当選しなければ、職を与えられなければ何もできない。
 政治の世界に起業や創業がないという意味において、政治家とは、他の職業・職種とは決定的に違う。

 その意味で、寺田学さんには、政治家の先輩として、国民から与えられた仕事と職責を再び全力で全うしてもらいたいと、心からの期待と尊敬の念を込めてそう思う。

 秋田にはなかなか戻ってこれない日々が続くかもしれないが、秋田の政策課題や県政の状況については、私なりにしっかりと対応・把握していきたいと思っているので、後顧の憂いなく、存分に仕事をしていただきたいと願う。

 県政のほうでは2月議会が着々と近づいてくる。
 私も緊張感を高め、議会に臨む準備をしており、県当局の方々にもいろいろなデータの提供や、現状の聞き取り・把握などに協力していただいている。
 真摯に対応していただけるとき、残念ながらそうでないとき、いろいろあるのも事実だが、政治家として、与えられた仕事、立場、職責から逃げずに、妥協せずにやっていこうと思うし、県当局の方々にも、そうした姿勢を求めていきたい。
 そのために生じる軋轢や批判ならば甘んじて受け止めていこうと思う。
 この道を選んだ時からそのぐらいの覚悟はできている。

 そういえば昔、「我が為すことは我のみぞ知らん」と言い切った青年がいたっけ。

アクション型。

2012年02月07日

 今日、政府の関係者とともに、民主党県連の雪害本部として、京野公子衆議院議員、小原県議が玉川温泉の事故現場の視察など、雪害状況についての確認を行いました。

 現場の状況など、詳しい報告は小原議員のブログにアップされています(こちらからご覧ください。)

 県政においては少数野党という立場ではありますが、国政では政府与党ですので、こうした政府との連携や、与党としてのしっかりとした対応というものを政調会長としては心がけていきたいと思っています。

 玉川温泉については、今回事故が起きた岩盤浴場の冬季閉鎖といったことも佐竹知事が言及されたようですが、このことについては私もいろいろと対処方法を検討していきたいと思っています。

 1月は、様々な新春行事などがあり、なかなか十分な調査研究の時間が取れないことに焦りを感じていましたが、2月に入って少しそうした行事も落ち着いてきましたので、2月議会に向け、腰を据えて調査などを行いたいと思っています。
 議員の方によっては、そうした新春行事なども、「貴重な意見交換の場」、「調査研究の一環」とお考えの方もおり、そうした行事への出席などで「多忙だ」と堂々とおっしゃる方もいらっしゃいますが、私はどうも抵抗があり、行事への出席で「忙しい」とは口が裂けても言わないようにしています。

 実際には時間を取られる部分が大きいとしても、それはあくまでも議員活動のオプションであり、本業は政務調査、政策提案だと思っているため、むしろ、そこで時間が割かれていることは、本来的には県民の皆様に対して、やや申し訳ないという気持ちでおります。

 ある程度やむをえないとは言え、1月は議員としての本来の活動がやや停滞しておりましたので、また気持ちを引き締めて向かいます。
 TDKへの対応についても、県など関係団体が連絡会議が立ち上げましたが、「情報収集」や「共有」の次に何ができるのか、工場の再編、取引の停止といった一連の流れに対する県の対応が適時適切であったか、産業労働委員会に所属する者として、反省も含めて考えていきたいと思います。

 議会というものが、何か事態が起きたとき、何か県からの提案があったとき、に動くというリアクション型の議会ではなく、予測して動く、予防的に考える、というアクション型のものに変わっていけば、まさに、こうした玉川やTDKなどについても、県と議会が、同じ重さで責任を共有していく、対応を考えていくというふうな「対等な関係」に変わっていくはずです。
 このこともまた、議会改革の一環として取り組むべきテーマであろうと考えています。

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職し、秋田市長選挙に挑戦。
令和5年4月
政治家として再始動を決意。
現在
秋田市横森在住。

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