県庁では毎年人事異動の希望調書というものを提出することになっている。
実際に異動するかどうか、希望が叶うかどうか、はさておき(ここがミソだが)、本人の希望は聞いておこう、ということだ。
私も当然、退職までの16年間の間、いろいろな希望を出したが、20代の頃、「観光課」を希望したことがある。
なんだかんだで、結局、観光課で仕事をすることはなかったのだが、当時も今も、観光課は県庁では数少ない「花形」のセクションではないかと勝手に思っている。
行政の仕事に攻めと守りがあるとするなら、攻めの仕事、とも言える。
観光文化スポーツ部。
週明けからの総括審査でもいろいろな議論が出ると思うが、今日の地元新聞紙で、「トップは民間から」との佐竹知事の発言が載っていた。
「トップ」という言葉が文字通り「部長」という意味ならば、この起用には2つの面から私は反対だ。
1つは、組織マネジメントという視点。
新しい部は、その業務が多岐にわたる。県当局の提案内容では、観光はもちろんだが、農産物の加工から販売という「6次産業」、そして、国民文化祭の開催、ハピネッツなどのプロスポーツ支援、アートや音楽などのイベント支援、さらには、バスや内陸線などの地域交通の維持、各種文化団体やスポーツ団体との調整など、「テンコ盛り」の内容となっている。
観光が前面に出過ぎていて、なにかイベントばかり、外に打って出てばかりの印象が強い新部だが、実は、それは水面に顔を出している氷山のようなもので、その水面下には、農業や文化や祭りや生活といった地味で目立たないものに対する関わりが膨大にあるのが、この新しい観光文化スポーツ部である。
むしろ、そうした地に足の着いた部でなければ、観光など成功するはずがない。
そうして考えていくと、この新しい部は、言わば「ミニ県庁化」してしまっている。
つまり、県庁内の様々な業務を知り尽くし、かつ、県庁外の様々な団体と調整を図り、なによりも、秋田にある地域資源を誰よりもよく理解していなくては、この部のトップは務まらない。
まして、デスティネーションキャンペーンを間近に控え、のんびりと構えているヒマはないし、行政の仕組みや意思決定の流れなどの「お勉強」から始められたのでは、たまったものではない、というのが率直な感想。秋田といえば「おいしい食べ物、温泉、秋田美人」などと観光客並の知識しか持ち合わせていないような方を県外からお招きするのも論外。
外の目から見た新鮮な切り口、は否定しないが、そういうものはまさに梅原さんのようなアドバイザーという立場でよいのであって、組織を動かし、秋田を動かすのは全く別の能力が必要だ。
評論家のようなトップだけはやめてもらいたい、と強く思う。
反対するもう1つの理由は、県庁職員のモティベーションという視点だ。
県庁は厳然とした年功序列組織だ。その功罪をここでは述べないが、県庁職員にももちろん夢も希望も意欲も士気もあるし、年功序列である以上、自分の想いを実現できる立場になるにはかなりの「下積み期間」を必要とする。
いつかは部長になって、自分の考えている政策を実行していきたい、と思いながら必死に仕事をしている職員だっているが、こういう安易な民間人材の登用は、そうした職員のモティベーションを下げることになるのではないかと強く危惧している。
私は行政と民間の人事交流や人的な垣根はどんどん取り払うべきだと思っているが、それは行政の年功序列や賃金体系、採用方法など全体を見直して進めていかなくてはいけないのであり、「頭」の部分だけを民間出身者に置き換え、「胴体」は年功序列のまま、という今のやり方は、組織のマネジメントとしても、人事のマネジメントとしてもいびつになると思っている。
佐竹知事は東京でのとある会で、「いずれ全ての部長を民間から登用したい」というようなことをおっしゃったとも人伝いに聞いているが、行政の意思決定を、民間感覚でやってもらうのがいい、と本当にお考えならば、意思決定の長たる知事職こそ、民間出身者にやっていただけばよいだろうし、退任される中野副知事に代わり、また経済産業省から副知事を迎える方針のようだが、まさに特別職の地位に民間出身者を起用すればよいだろうとも思う。
私のこの危惧が杞憂に終わり、「部長」ではない形での起用であれば良いな、と思う。
副知事の起用は議会の同意が必要だが、部長以下はまさに知事の人事権、専権事項である。
議会として、議員として、この人事には口を挟むことはできないが、この場で意見だけは表明させていただこうと思う。
来週行われる総括審査について。
恒例の総括審査、佐竹知事との一問一答、ガチンコ勝負、ということで、議会のハイライトと言っていいもので、議員側の緊張感も相当なものがあります。
今回は、19人の議員が総括審査に臨みます。
議員数が45人ですから、半分近い議員が知事と一問一答を行うことになりますが、民主党会派からは、虻川さんと小原さんが出陣(?)します。
おまえはどうした、さぼるんじゃない、というお叱りを受けそうですが、民主党会派に与えられた28分という時間と、それぞれの想いや出番を考えて、今回、一般質問の出番をいただいた私は、総括は辞退させていただきました。
19人も質疑に立たれるとなると、当然、話題が集まるテーマがあり、それがつまり、今の県政のホットトピックということになるわけですが、今回のホットトピックは、「観光文化スポーツ部の設置」、「市町村未来づくり交付金」、「医療費助成の拡充」、「がれき処理」といったあたりになるようです。
同じテーマを取り上げても、議員それぞれに主張も違いますし、逆に、その力量の差が如実に表れていしまうというのが総括審査でもあります。
実はこの1年、私は全ての定例議会(6月、9月、12月)で総括審査に(図々しくも)登場していたので、質疑を拝聴する側にまわるのは初めての体験となります。
そういう意味でも、議論の流れを冷静に見極めることができそうですし、その結果、民主党会派として、県の当初予算や新しい部の設置に賛成するのか、反対するのか、修正案を出すのか、といった判断をより正確にできそうだとも思っています。
話すこと、主張するだけが議員ではない。耳を傾けること、情報や事実を掴み取り、的確に判断することもまた議員の仕事。そう思って、この2月議会の質疑の行方を見極めていきたいと思います。
小原さんも、今、自分の想いをカタチにするために、準備に追われています。
観光や食品産業の振興など、本人の強い想いのある分野、そして、3人の子供を持つ親という立場からも医療費助成の拡充についても取り上げるようです。
かなり、自分を追い込んでの作業が続いていますが、実りある質疑になることを期待しています。
欲しかったJAZZのCDがアマゾンから届き、仕事漬けの日々に少しの潤いを得た。
ジャケ買いをして失敗することもしばしばだが、まあ、タバコも吸わないし、ギャンブルもしないし、ゴルフもしないし、お金のかかるレジャーや趣味とは無縁の生活の中で、そのぐらいの贅沢は許してもらおう、と自分に言い聞かせている。
恥ずかしながら、まだ、仙台の定禅寺ジャズフェスティバルに行ったことがない。
光のイルミネーションも見たことがないのだが、それは横に置いておくとして、音楽は良いものだ、とつくづく思う。
世界でも、国内でも、ジャンルに限らず、音楽イベントがその地域のアイデンティティのようになって長く続いているものもある。
秋田市でも数年前からジャズフェスティバルが開催されているが、こういうイベントで県外からも人を呼べるぐらい、地域で育てていきたいものだと思うし、いまどき、何かというとすぐに「自立、自立」と行政も突き放したがるが、NPO活動や、文化活動、地域づくりは、採算や営利といった概念より継続性を重視して、息の長い支援をしていかなくてはいけないだろうと思う。
今、6000億という県の予算を、「なめるように」とは言わないが、少なくとも目を皿のようにしてチェックしている。
こんな言い方は良くないかもしれないが、6000億すべてが完璧ということは絶対にないと思っている。穴もあれば、無駄もある、そういうものがある、という前提に立って、可能な限り、時間の許す限り、6000億に向かい合うのが当然の使命だし、この6000億の予算を修正なく可決するということは、「すべてよし」という意味ではなく、「穴や無駄を見抜けなかった」という意味になるとさえ思っている。
極端な考え方かもしれないが、そういう緊張感、そういう目線で予算を見るのが私の仕事だろうと思っている。
6000億を見ていて、つくづく思うのは、億単位の予算が基本で動いている分野、たとえば、観光や産業振興、教育といったものと、数十万とか100万といった単位で動いている分野、たとえば、前述のNPO支援や、文化活動支援など、分野によってずいぶん差があるということ。
NPOや文化関係の予算などを見たあとに、観光や広報の予算などを見ると、正直、貨幣が変わったのかというぐらい、ケタがまるっきり違って頭の切り替えに苦しむ。
もう1つ思うのは、いったいぜんたい、県庁が1年に作るパンフレットの数は何万、何十万部になるのだろうということ。
正直、目下、まだ把握しきれていないが、これはいつか把握し、取り上げなくてはいけない問題だろうと思っている。
情緒的な物言いはあまり好きではないのだが、「これらパンフレットやポスターに要する費用の一部をNPO活動支援やアート、音楽、文化活動支援に回せたら、そのお金でどれだけの若者が、どれだけの文化が育つだろうか、とため息まじりに考えてしまう。
単に無駄を削る、という視点では、「Aという事業が無駄かどうか」という絶対評価でしかない。
しかし、優先順位を図る、という視点に立ては、「A事業に使う1千万があれば、B事業をもっと充実させられる。AよりBのほうが効果的ではないか」という相対評価が出てくる。
行政の予算や政策は、絶対評価ではなく相対評価で見ていかなくてはいけない。
複眼で、比較衡量していくことが必要だ。
来週行われる総括質疑では、民主党会派としてはそうした視点で臨んでいきたい。