自民党が「今後の社会保障制度に関する基本的考え方」を公表した。
国会では最低保障年金制度などについて、撤回しろとかしないとか、いろいろな議論があるが、そのことは少し横に置き、その内容について、1つ気になったことがある。
それは、
「家族の力の喪失などを背景に、子育てなどの社会化が進められようとしているが、いたずらにそうした道を選ぶのではなく、家族内の精神的、経済的、物理的な助け合い、家族力の強化により、「自助」を大事にする方向を目指す。また、自発的な意志に基づく「共助」を大事にし、その力が十分に発揮される社会を目指す」
との一文だ。
美しい文章だが、こういう社会をどうやって作るのだろうか、と悩んでしまう。
家族で頑張れ、お互いに助け合え、と言うだけなら政府も制度も要らない。
まして、子育ての社会化は「いたずらに」選ばれたわけではない。
この理念に照らした場合、たとえば、全国の自治体が実施している「保育料助成」は自助ではないからバラマキだ、ということになるのか、あるいは、本県が今年度から拡充した「医療費助成」もまた手厚すぎるからバラマキだ、といことになるのか。
核家族化や、独居高齢世帯の増加といった日本の「家族単位」の変容や、そもそも「家族制度」がどうあるべきか、といった議論がある中で、果たして「家族力の強化」といったことが可能なのか、むしろ古典的な「大家族」幻想が見え隠れしないか、といったことも気になる。
これはつまり、脱「公助」ということだろうか。
一方で、もう少し読み進めていくと、少子化対策についてはこう書いてある。
「これからの少子化対策は、単に子ども・子育て支援ではなく、若者支援、結婚、出産、子育てを幅広く支援し、子育てを幸せと実感できる家族支援政策を積極的に進める。」
さてさて。
少し矛盾しはしないか。
自助を高らかに謳いながら、ライフステージを通じて家族支援を展開する、というのはどう整合性を図るのか・・・・どなたか解りやすく解説してもらえないだろうか。
生き方や価値観がこれほど多様化している中で「家族」という枠組みを前提にした少子化対策、ということそのものに無理があるのだ、と思うのは私だけか。