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タテからヨコ。

2012年08月17日

 某新聞紙の記事に私のコメントを掲載していただいた。

 内容は秋田県庁での「事務ミス」についてのものだ。(記事詳細はこちら。)

 事務ミスの原因について、佐竹知事の考えとしては、大きく「行革による職員数の減」と、「縦割り組織をやめてフラット化したことでの責任の所在の曖昧」ということのようである。

 議会の場でもそのように発言されていた。

 私はこの考えを真っ向から否定する。

 記事のコメントの通りなのだが、少し補足してこの場で説明したい。

 昔、社会構造がタテだった時、行政の「縦割り」というのはある意味で有効だった。
 国から県、県から市町村、そして民間がそれにぶら下がるようなイメージだ。上位下達型の社会と言ってもいいだろう。
 戦後の復興や、高度経済成長といった時代には、こうした手法や組織形態が合っていたのだろうと思う。

 しかし、今、社会構造はヨコになった。
 国と県と市町村が対等になったことは、全国の自治体の首長さんらが、平然と国を批判する様子からも垣間見えるのだが、そうした行政内部の変化以上に、NPOや新たな「公」といった、行政や企業に従属しない組織が、重要な役割を担ってきたことが大きいと私は思っている。

 IT社会になり、デモもレジャーもビジネスも、「ヨコ」で繋がる、「個」で繋がるフラット社会になった。

 こうした社会の「タテからヨコ」への変化は、時代の必然であり、不可逆的である。
 そして、こうした社会構造の変化は当然、行政のあり方、ポジションにも変化をもたらす。
 社会がヨコになっているのに、役所だけがタテというわけにはいかない。
 意志決定のスピード、柔軟さ、が必要になり、多様な主体・多様な価値観との調整をしながら政策を進めていかなくてはならなくなった。

 つまり、役所の組織もヨコにならなくてはいけない。これまた時代の必然であり、不可逆的である。

 同時に、こうしたNPOなどの出現により、行政が自ら担わなくてはならない分野は縮まり、むしろNPOなどが担ったほうが住民サービスの向上に繋がるような場合が多々出てきた。
 公共施設の管理運営しかり、地域づくり活動しかり、である。

 これによって、行政が自ら抱えこんでおかなくてはならない「ヒト、モノ、カネ」といった資源の総量は減ることになり、「外部化」される。

 よって、役所が「縮小する」ということと、「タテからヨコ」になるということ、この2つは、時代の要請、必然であり、「昔は良かった」などといくら懐古主義に走っても、どうにもならないし、もしそういう感覚で組織をタテにしましょう、などという愚挙に出れば、社会に全くマッチしない役所組織のいっちょあがり、ということになってしまう。

 佐竹知事が昔のタテ組織を懐かしみ、行革悪玉論のように語るそこに、激動する現代のリーダーとしての先見性や、指導性を私は感じない。

 事務ミスが起きるのはタテからヨコになったからでも、人が減ったからでもない。
 個人のミスが起きない組織はない。
 要はミスが起きた時の、あるいは、起きる前のマネジメントシステムの問題である。
 「昔は良かった」、「もっと職員が多ければ良かった」と思考停止するのではなく、現代の社会情勢にマッチする組織形態と、マネジメントシステムを模索することにこそ注力してもらいたいものだ。

 組織がフラットになり、人が減る。
 その中で、いかにミスを減らし、いかにスピード感と機動力を持ったマネジメントができるか。
 昭和を振り返っても平成では通用しない。
 佐竹知事、今は昭和ではないのです。
 

48時間。

2012年08月15日

 昔、そんなタイトルのハリウッド映画があった。

 刑事と、48時間の仮出所の許可を得た囚人が、悪態をつきつつかれつ、ある犯罪の捜査を進めていくというストーリーで、囚人役のエディ・マーフィーの出世作となった。

 という、映画の話をしたいわけではない。

 私自身の頭の中を含め、少しここで整理しておきたいと思ったからだ。
 こういう事態は、とかく、情緒的・扇動的になりがちで、正確な情報が伝わりづらい面があるからだ。

 今日、沖縄県警が香港の民間人14人を逮捕した、「尖閣問題」についてである。
 今回逮捕された14人のうち、5人は不法上陸、9人は不法入国の容疑であり、いずれも入管難民法の規定に基づくものである。
 前回、2010年に中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した際には、中国人船長が逮捕、送検されたが、その後、那覇地検が、「処分保留で釈放」した。
 この件について、後日、仙石官房長官の問責決議という事態になったことは記憶に新しい。

 2004年、時の小泉首相の時代にも、魚釣島に中国人活動家7人が上陸したが、この時には、送検せずに、強制送還という手続きを取った。

 今回、政府がどのような対応を取るか、ということの前に、こうした過去の対応との関係を知っておく必要があるだろう。
 日本の刑事訴訟法では、警察が容疑者の身柄を拘束できる時間は最大48時間と定められている。
 これは、今回のような不法入国や不法上陸の場合にも生きている。
 通常は、48時間の間に、検察庁に送検するか、それができなければ釈放する、という判断を迫られる。

 しかし、通常の場合と違うのが1点あり、入管難民法による「引き渡し」である。
 48時間の間に調査を行い、不法入国や不法上陸以外の「犯罪」を犯していない場合に限って、その容疑者の身柄を入国管理局(入国警備官)に引き渡すということができるのである。

 入国管理局では、その後、その人間を国外への強制退去させることになる。

 つまり、2010年の際には、送検されたが、地検が釈放した、ということであり、2004年の際には、送検ではなく入国管理局への引き渡しがなされた、という違いがあるのだが、いずれも、その判断の時間リミットは48時間である。

 よって、よく「逮捕して死刑にしてしまえ」とか、「釈放や強制退去では手ぬるい」といった声が巷で出るのだが、現在の国内法としてはこういう流れだということをまずしっかりと認識しておきたい。

 その上で、そもそもこの法体系に問題があるとすれば、これはまさに与野党問わず国会としての立法問題、法律改正の問題であり、法に基づいて行政を行う政府の問題ではないこととなる。

 今後、どのような報道がなされ、どのような世論が形成されるか不明だが、政府として毅然とした対応をすべきことはもちろんであるが、その「毅然」は現在の国内法の枠組みを逸脱した形で行われるものではないということは整理しておかなくてはならないだろう。

 もう1点、そもそも尖閣諸島の領有権を主張している中国については、歴史的にその主張の論拠は甚だ乏しいことは明確であり、尖閣諸島が日本固有の領土であり、国際法上、日本が「先占」してきたものであることは、日清戦争、第二次世界大戦などのたびに日中間で取り交わされてきたものは明らかである。
 第二次世界大戦後、敗戦した日本は、満洲や台湾などを中国に返還することとなり、沖縄はアメリカの統治下に入ったが、返還されるエリアに尖閣は入っておらず、逆にアメリカが統治する沖縄側に尖閣は入っている。
 何百年も前の書類をひっくり返して水掛け論をやるまでもなく、この時点で、中国が尖閣について何の抗議もしておらず、もし自国の領土だと認識していたなら当然返還を求めるべきであった。
 それをせずに、それから30年も40年も経過してから、豊富な海底資源の存在が明らかになっておもむろに領有権を主張し始めるというのは何とも図々しい、というよりお粗末である。

 「尖閣について領土問題は存在しない」という日本の立場も、しっかりと認識を新たにしておきたい。

 

メメント・モリ

2012年08月13日

 メメント・モリ。

 ご存じの方も多いこの言葉、ラテン語の神学用語で「死を想え」という意味になる。

 どんなにお金を払っても時間だけは買えない、止められない。
 私たちの頭上には等しく「死」がある。
 こんな日だからこそ、そのことに向き合いたい。

 昨日、大変お世話になった方の葬儀に参列した。
 しばらくお会いすることができずにいたが、フェイスブックでは「友達」になっていただいていた。
 そこで、お互いの「存在確認」というか「安否確認」のようなものが漠然とできていて、「ああ、元気でやっておられるんだな」と思っていた。

 1週間前に、全く偶然にある食堂でお会いしたとき、短い会話だったが、「身体に気をつけて頑張れ」と、いつもと変わらぬ笑顔で私を励ましてくれた。

 それからたった数日後に、その方の訃報が届いた。
 信じられない思いは、私も、そこの参列した全ての方々もそうであったろうし、そして何より残されたご家族の方が現実を受け止めるにはあまりにも急な出来事であった。

 私の祖母も、心臓の具合が悪く、ある日ある時、何事もなかったように自分の部屋にモノを取りにいったきり、そこで倒れてこの世を去った。
 まだ50代だった。

 祖母は、私が母に連れられて遊びに行くたびに、帰り際、必ず、1つだけ、私に大きなグレープフルーツをくれた。
 なぜかはわからないが、いつも「じゅん坊、家さ帰ってがら食べれな」と言って、手に乗せてくれた。
 そのせいだろうか、今もグレープフルーツには目がない。

 「死」は突然訪れる。
 その理不尽さをぶつける先すらない。
 死は必ずやってくる。
 今にも、明日にもやってくるかもしれない。

 しかし、だからこそ、人には「生きる価値」と「生きる責任」があるのだと思う。

 残酷なもので、お亡くなりになったその方は、フェイスブック上でまだ穏やかな笑顔を私に向けてくれている。
 自分がこの世を去ったとき、自分のフェイスブックはどうなるのだろうか、などと思いながら、もう読んではいただけないその方にメッセージをお送りした。

 「読んでもらえないかもしれないが、一言だけ伝えたい。本当にお世話になりました。あなたがこよなく愛した秋田を次の世代につなぐために頑張ります。引き続きご指導ください。」

 心からご冥福をお祈りします。
 

 

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職し、秋田市長選挙に挑戦。
令和5年4月
政治家として再始動を決意。
現在
秋田市横森在住。

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