竿燈も今日で3日目となりました。
年々、賑わいを見せているのが、屋台村。
従来からの、市役所横、旧産業会館跡地に加え、昨年からは旧ダイエー跡地でも県内各地のご当地グルメを持ち寄っての屋台村が開設され、多くのお客さんが訪れています。
県庁職員時代、1年だけでしたが青森県庁に派遣されていました。
青森では、ねぶた祭りが終わればもう秋、と言われるほどに夏が短く、そのぶん、ねぶた祭りにかける思い、盛り上がりはなかなか凄まじいものがあります。
ねぶたと竿燈、祭りそのものを単純に比較することはできませんが、1つ、決定的に違うのはこの「屋台村」の存在です。
ねぶた祭りは、JR青森駅前から続く商店街と、そして県庁・市役所などの官庁街を、ぐるりと一周するという運行経路になっていますが、その運行経路の両側や、近隣には大きな空き地がなく、屋台は並びますが、エリアとしての「屋台村」はなかなか難しい状況にあります。
ひるがえって、竿燈祭りでは、前述のようにあちこちに大きなスペース、跡地があり、これが今活用されているわけです。
「跡地」の存在は、本来、市街地の空洞化を示すものなので、歓迎すべきものではないのですが、こうした時にはにぎわい創出の場として有効であるようです。
私は、この20年の県都秋田市のまちづくりは失敗したと率直に思っています。
いろいろな要因・事情があるとしても、様々な機能が郊外化し、車社会に拍車をかけ、市街地の空洞化に拍車をかけてしまった。
もし、今から、ゼロから、秋田市のまちづくり、そのグランドデザインができるとしたら、自分ならどんなまちづくりをするだろう、どこにどんな機能を配置し、どう集約化・効率化するだろう、環境や歩行者に優しいまちづくり、をどこまでできるだろう、と考えることがあります。
現実にはそのようなことは難しいわけですが、そうした視点で、この「跡地」を見ていくと、単なる「空洞化のシンボル」ではなく、街のリノベーション、まちづくりのキースポットとして捉えることができるのかもしれません。
空いている場所があるからこそ、そこに都市機能を再配置させる、あるいは、拡散した機能を再集約できる、ということにもなるでしょう。
そんなことを考えながら、今年も少しの時間でしたが、屋台村を私も楽しませてもらいました。
明日が最終日、最後の盛り上がりを期待したいと思います。