66歳の岡山県知事が勇退を決めた。
それを受けて先日行われた知事選挙。
結果、戦後初めての民間出身知事が誕生したということもさることながら、今回の選挙では、3名の40代が立候補し、戦った。
どの政党がどうだ、とか、推薦がどうだ、とかそうした構図は横に置いても、40代の「我こそは」と思うような人間が複数名乗りを上げるということは、それぞれの勝ち負けを超えて、その地域の未来にとっては大変良いことだと感心をした。
新しい知事がどのような「民間感覚」を発揮されるか、楽しみである。
私個人としては、とかく国政がどうとか、国のせいでどうの、とか、国政との関係でしか「地方自治」を語れなくなった知事が多くなった中で、是非、「知恵」を絞って、まさに「地方」の「独自」の「政治」を進めるという気概を持って4年間に当たってもらいたい。
同じく、66歳で3選を決めた富山県知事選挙。
共産党が擁立した対立候補者がいたが、実質的には無風の信任投票となり、投票率も前回からさらに下がって38%となった。
実質的に、3人に1人しか投票に行かない、というような構図の中で、富山県政の今後の4年が決まったことは少々残念だな、という気持ちもある。
いずれにせよ、岡山と富山、非常にコントラストのある形となり、大変興味深く結果を見た。
さて、半年後に控えた我が秋田県知事選挙、その他予定されている市町村長選挙も含めて、どういう形になるか。
立場上、なるか、ではなく、するか、と言わねばならぬか・・・
昨日、岡田副総理が来県し、県内3か所での国政報告会に出席し、講演していただいた。
秋田市では、会場に限界まで椅子を並べたのだが、最終的には立ち見が出るような形となり、満員御礼、約480人の方々にお越しいただくことができた。
大館、横手でも盛況な会となったこと、お越しくださった方々はじめ、お世話になった方々にこの場を借りて改めて御礼を申し上げたい。
岡田副総理、寺田学補佐官ともに、民主党政権の3年半を振り返りながら、「できなかったこと、至らぬ点もあったが、乗り越えて、飲み込んで、やってきた。教育や子育て、医療など、民主党政権になり確かに進んだものもある。古い政治に戻すのではなく、前に進めなければならない。もう一度任せてもらいたい。」
といった趣旨の講演であった。
振り返れば、政権交代への期待を受けて、事業仕分けという華々しいスタートを切った民主党は、普天間の問題はじめ、様々な事柄について、迷い、悩みながら進んできた、という感があった。さらに、その後の東日本大震災によって、大きな政策変更を余儀なくされた。
それが、「高速道路無料化」を止めて、その財源を震災復興に回す、といったことであったし、さらには、そうした復興に対する多額の財政支出が今後続くと見込まれる中での、「社会保障財源の確保」という消費税増税の決断であった。
こういう政党の中にいながら、与党として国家の財布、被災地の現状というものを目の当たりにしてきたにも関わらず、「対案なき増税反対」を掲げて、選挙に向かおうとする「生活」所属の議員の方々は、率直に言えば、私には無責任としか映らない。
そしてまた、尖閣、竹島などの領土問題、そして沖縄を中心とした米軍基地、日米安保の問題の難しさを見てきたとき、「2045年を目標に国内から米軍を完全撤退させる」といった橋下維新の会の公約素案は、もはや無責任を超えて夢物語にしか見えない。
政権を担うということの重さ、今後も続く震災復興ということの重さ、安定的な社会保障制度に対する国民の渇望に応えることの重さ、こうしたことをこの3年半で民主党は学んだ。
しかし、国民は政治家の「学び」に税金と時間を与えたわけではない。
この学びを成果に変えること、それがつまり民主党の「再生」ということだろう。