告示が近づく。
本当なら明日開催の予定であった公開討論会が中止になった。
そのことについて、他陣営の方が、ご自身のツイッターで「公開討論会が中止になったことを広報ビラなどで取り上げ、選挙のネタに使うのは大人じゃない」と当陣営のことをご批判されておられたので、その甚だしい勘違いについて、一応反論しておく。
学生団体から、「自分たち若い人間も各候補者の意見や考えを聞く機会が欲しい。公開討論会をやりたい。」とのお話をいただいたので、当陣営としては、承諾した。
もちろん、学生団体だろうと、経済団体だろうと、NPOだろうと、なるべく多くそうした機会があったほうがいいというのが寺田学さん本人の考えであるし、私もそう思っている。
有権者の方が「選択」できる機会を少しでも増やしたいからであって、どの候補者に利するとか、損とか得とかそんなみみっちいことは毛頭考えていない。
承諾をしたあと、学生団体から再び連絡があり、「全ての陣営から出席の返事をもらった」と日時・場所が指定された。
ちょうど、当陣営では民主党の広報ビラを作成していたタイミングであったため、ビラのスペースを活用して、この公開討論会を有権者の皆さんになるべく多く知っていただきたいとの趣旨から、討論会開催のお知らせを盛り込んだ。
しかしその後、既に印刷が完了した段階において、学生団体から「他候補者から連絡があり、出席を取りやめたいとのこと。4人のうち、2人になってしまっては、公平性・客観性という意味から開催は難しいので、今回は中止したい。」とお詫びの連絡があった。
非常に無念そうだった。
なお、この学生団体は、キャンセルの連絡を受け、その陣営に直接訪問し、「なんとか考え直してもらえないか、訴えたい政策などをメッセージとしていただくこともできないか」と懇願したそうだが、それはできない、と一蹴されたと聞いた。
その時点で、広報ビラは既に完成しており、全戸配布のスケジュールを考えれば、もはや擦り直す時間はなかった。
その中で、技術的に「可能な方法」、有権者の皆さんに「誤解を与えない方法」を考えて、討論会の中止を再度お知らせしたというのが事の真相である。
出席と言って学生を喜ばせておいて、キャンセルをした挙句、こちらの広報ビラを「大人げない」と批判する神経はどこから来るものか。
政治を知りたいという若者の希望や喜びを踏みにじるのが、その陣営のおっしゃる「オトナの作法」ということか。
さらに言えば、他のNPO団体が企画しようとした公開討論会も、当陣営は他の予定を変更してでも出席するとお伝えしたが、やはり、他陣営から出席を断られたと聞く。
それからもう1つ。
こちらの広報ビラを中傷する陣営に限って、その陣営が出すビラやら広報物は堂々と公職選挙法違反を犯している。
こちらをとやかく言う前に、公選法を良く読んでから出直してこい、と言いたい。
告示日以降の集会などを、今、広く不特定多数に告知なんてするのは「事前運動」。それをご存じないなら選挙に最低限必要な知識を持ち合わせていないということだし、知ってやっていることなら故意に法を犯しているということだ。
国会は立法府。
法律を作る場所に行こうとする人が「公選法」という政治の根幹にかかわる法律すら守れない。
候補者の方だけではなく、ツイッターで呟かれた方もそういうことなのでしょうか。
なんとも目まぐるしい。
選挙とか政治にいささかなりとも関わっている私でさえそう思うのだから、県民の皆さんに至っては、「ついていけんな」「好きにしろ」とでも言いたくなるような気持ちではないか。
いや、もう言っておられるか。
仕事に行って帰ってきたら、一晩寝て起きたら、政党ができて、そして、消えている。
本県でも、民主党という党に入れていただいた比例票で、自ら選挙を戦うことなく国会議員になった方が、民主党を捨てて「国民の生活が第一」「我々こそが本流」などと声高らかに結党記念バーティーをやったのが、今から2か月前。
たった2か月で、「国民の生活」は捨て去られ、今度は「日本の未来」だという。
日本の未来を語る人が、増税反対、TPP反対、原発反対と言って選挙をやるその先に、日本の未来など断じてないと私は言いたい。
私は、こういう節操のない、およそ自分の未来しか考えておらないような政治家には一ミリも共感するところがない。
一方で、日本維新の会は、秋田一区に候補者を擁立することを急きょ決めたようだ。
維新の会がもはや「維新」の魂を失い、第二自民党に成り下がったのは今日発表された公約を見れば一目瞭然なのだが、その維新から、これまた、長く自民党の実務を取り仕切って、自民党から国会議員になった方が、今更のように「維新顔」をして、選挙にかけ込み乗車してくることに、私は強い憤りを覚える。
有権者と政治をバカにするんじゃない、と言いたい。
正直、自民党とは政策も違うし、これまでも、私自身、自民党批判を散々やってきたが、それは少なくとも政党として認めているからだ。
維新だの、未来だの、そんな政党は私にとっては憤りの対象でしかなく、論評するのさえバカらしくなる選挙団体だ。
何を言っても、全ては選挙結果が全て。
こういう政党には一票も渡したくない、そういう気持ちで有権者の皆さんに向き合うつもりだ。
今日は、自民党ではなく日本維新の会について書こうと思う。
明治維新は、下関の地で、高杉晋作が「維新回天」の挙兵をしたところから始まる、と言われている。
その後、坂本龍馬の「船中八策」などを経て、大政奉還へと結実していくことになるのだが、その明治維新になぞらえて作られたのが、橋下徹率いる「維新の会」であり、「維新八策」であった。
さて、その日本維新の会の公約原案が発表された。
私たちは、華々しくデビューした「維新八策」と今回の公約原案の間にある、深い深い溝、「断絶」を注意深く見ていかなくはならないと思う。
八策で「TPP参加」と明記されていたものが、公約では消失した。
同じく、政治改革、統治機構改革と言って、目玉にした「衆議院の議員定数を240人(半分)に」も、公約原案では「定数」の「て」の字もなかった。
「企業・団体献金の禁止」もあっさりと撤回した。
あれほど原発再稼働や関西電力に対して噛みついた橋下さんであったのに、原発については「原発ゼロ」の目標年限も設けることなく、さらには再稼働まで容認するという公約になった。
その代わり、石原代表になってからは「核保有のシミュレーションをやったらいい」といった著しい「右傾化」が見られるようになったし、「選挙の顔」である橋下市長は形骸化し、上記のような政策変更でわかるように、日本維新の会はすっかりと暴走老人に骨抜きにされたようだ。
私から言わせれば、もはや「維新」は「維新」でもなんでもなく、右傾化し、企業団体から献金を受け、原発もTPPにも向き合えない、「第二自民党」に成り下がった。
しかも、その第二自民党を構成するのは、「維新」の看板欲しさにアチコチの党から駆け込み寺のように逃げ込んできた現職議員であるし、2500万とも言われる多額の自己資金を用意して、自前で選挙組織を作って、ただたた風頼みに選挙をやろうとする新人候補者たちである。
その新人候補者たちを「自分で金を出してでも選挙に出たいという志のある人間」と橋下市長は以前話していたが、その志を「助ける」のが政党というものであって、その志を「食いもの」にするようにして、広報費など上納金を納めさせるのは、「政党のコンビニ化」、「フランチャイズ化」に他ならない。
三途の川の向こうにいる高杉晋作や坂本龍馬が泣いている。
これが「維新」か、と。
行革だけに熱心な、前のめりな政党が、本当の維新などできるわけがない。
こういう政党を支持する方々は、石原代表の「核発言」ごと支持しているのだと私は理解するし、候補者の志を食いものにするような政党のあり方も私は認めない。
維新の会はもはや実質的に消滅したのではないか。