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三重苦。

2012年11月16日

 党首討論後、「民主党政権の3年半はなんだったと思うか」という問いかけを報道の方から何度かいただいた。

 端的に私としては、「三重苦の中で、苦しみながら、もがきながらの3年半であった」と思っている。

 三重苦の1つめは、「1000兆円の借金」である。自民党政権において、「景気対策」と称して借金を重ねて公共事業が行われた。そしてまた、社会保障費についても財源の手当てをしないまま、抜本的な制度改革をしないままに給付を続けてきた。

 その結果が、世界にも類を見ない、借金大国の日本である。
欧州の経済危機を見るまでもなく、この債務、この赤字垂れ流しの財政に対する処方箋を示す必要があった。

 三重苦の2つめは、「ねじれ国会」であった。憲法が想定した事態とはいえ、予算は成立すれども、それを実効たらしめる特例公債法が成立しないなどという、一種の「制度的欠陥」の中で、様々な政策が野党によって人質に取られた。

 そして最後の1つは、「東日本大震災」であった。これは日本全体にとって忘れがたい記憶と体験となったし、深い爪痕を国土に残したことはもちろんだが、政権にとっても、様々な政策変更を迫られることとなった。

 こうした中で、「決めてこなかった」自民党から、「決められない政治」と非難され、しかし、それでも最後の最後、解散の前日まで「決めようとした」ことは多少でも国民の皆さまにご理解いただければ、と思う。

 その上で、できなかったこと、未熟であったこと、については率直に認め、しかし、できたことも確かにあったことは、選挙戦を通じてしっかりお伝えをしていきたいと思う。

 個人的なことを1つだけ。
  私自身、民主党が「逆風」と言われている中、「震災直後」というタイミングで立候補をし、様々な方から「今、なぜ民主党」とか「民主党でなかったら応援したのに」という声もいただいた。

  政治家としての私は、良くも悪くも、この時が起点であり、つまり、ハナから逆風だったのだが、だからこそ、必死でもあったし、踏ん張れた。
国会においては政権を預かり、政策を実行する力があった政府民主党ではあったが、秋田県議会における民主党会派たるや、圧倒的単独過半数を有する自民党会派との関係において、ほぼサンドバック状態であったと言っても過言ではない。

 正直、なかなか苦しい2年間であった。
悔しさのあまり、歯噛みして眠れない夜もあった。
今日の解散、万歳三唱の光景を観ていて、身体を張って民主党の地方議員をやり続けた2年間であったなあ、と何やら胸にくるものがあった。

 秋田県議会民主党会派代表、沼谷純。
これからも張れる身体があるうちは、必要とされる場があるうちは、めいっぱい張っていきます。

 

解散決定。

2012年11月14日

「11月16日」解散が決まった。

 事務所で党首討論を食い入るように見ていたが、正直、大変驚いた。
その発言内容というより、野田総理の迫力と、党首討論という「言い直しも誤魔化しもきかない場」での発言ということに驚いた。

 党首討論の場で、総理大臣が自ら「解散するから定数削減を一緒にやりましょうよ」と野党に呼び掛けるなどというのは、およそ前代未聞ではないかと思う。

 こういう形での事実上の解散宣言には、賛否があるとは思うが、私は大いに評価したい。

 国会内の力学で、いつのまにか、誰が決めたかわからないような形で解散が決まるよりは、解散権をただ一人持つ国会議員が、自らの言葉に責任と思いを乗せて、全国民が見守る中で発言をしたことははるかにわかりやすく、説得力もあったと思う。

 それに引き替え、安倍総裁の言葉たるや、まことに「胆力」の感じられないものだったと思う。

 一国民として見ても、解散時期を明示しろ、と迫っていた総裁が、明示されて逆に動揺している様子はありありと見てとれた。
定数削減についても、あれこれ言い訳じみた論理を展開して、結局「削減する。必ずやる。」といった言葉は出てはこなかった。

 民主党と自民党、というより、野田佳彦という政治家と安倍晋三という政治家の覚悟と格の違いを見せていただいたし、政治の道に踏み込んだ者として、今日の党首討論は忘れがたい場面となった。

 さあ。賽は投げられた。
あとは進むのみ。

 民主党の地方議員として、堂々と「これまでの民主党」と「これからの民主党」を主張していこうと思う。

 もとより、守備は苦手な男。
最近、やむを得ず守勢にまわる局面が多かったが、今日を機にギアチェンジをしていくことにする。

 

孤独死。

2012年11月12日

 少し前に、「共助」について書いた。

 そのときは、自民党の「自助」と、民主党の「共助」というややマクロ的な視点で書いたものだったが、県政における共助という点で今日は少し書きたい。

 ざっくりと言って、今、秋田県には高齢者の独居世帯、つまりお一人暮らしのお年寄りが、約4万世帯、つまり4万人いらっしゃる。

 もちろん、ご高齢のご夫婦の世帯、あるいはお子さんと同居しているご高齢者なども多々いらっしゃるし、そういう方々であっても、様々な生活上のご苦労はあろうかと思うが、敢えて、「一人暮らし高齢者」を取り出したのは訳がある。

 「孤独死」である。

 全国でこの孤独死がどの程度発生しているか、統計的には私は把握していないが、近年、報道等で良く目にすることは確かだ。
そして今、全国でこの孤独死に対する対策が様々行われている。

 たとえば、京都市では、孤独死防止のために「高齢者の居場所づくり」として、高齢者サロンを市内300カ所に整備することを目指している。

 また、埼玉県では県営住宅を対象に、宅配業者などと提携し、見守り活動をスタートさせた。
群馬県高崎市では、一人暮らし高齢者の自宅に「緊急通報装置」と「安否確認センサー」を設置する事業を始めた。親族などがいれば設置費用の一部負担を親族に求めるが、親族もいないような場合には市が全額負担して設置をするそうだ。

 北海道では、孤独死の原因や、なぜ気づけなかったか、関係機関がどう連携したか、などの実態調査をスタートさせ、政策立案につなげていこうとしている。

 秋田県でも、「孤独死」に限定したものではないが、買い物や除排雪などの生活支援をはじめとした、地域の支え合い活動が少しずつ形になってきている。
しかし、こうしたお一人暮らし高齢者の方々については、医療・介護も含め、誰が誰を支えるのか、どう「助けるのか」というまさに共助の仕組みが必要であることは間違いない。

 「家族」という制度、家族というもののカタチが急激に変化してきている昨今、子育て支援に限らず、こうした地域全体の「老い」と、個々人の「孤独」ということにどう行政が手をさしのべることができるか、これを市町村の役割と言って終わらせることなく、県としても考えていかなくてはならない非常に重要な問題だと感じている。

 広大な県土、過疎にあえぐ地域も多い中で、少子高齢化が進む秋田における「共助」の姿を真剣に考えて行かなくてはいけない。

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職し、秋田市長選挙に挑戦。
令和5年4月
政治家として再始動を決意。
現在
秋田市横森在住。

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