夏の参議院議員選挙で、本県の民間会社社長の方が維新の会の比例代表になるという報道があった。
私自身、政治が開かれたものであるべき、とも思うし、二世、三世などの世襲議員を押しのけるぐらいの気概で、多様な人材が多様な形で、地方自治や国政などに挑戦していけるようになっていくことを切望している。
まして、政治的にはマイノリティ世代である、20代、30代、40代といった世代が、自分たちの未来、自分たちの次の世代のために奮起しようということは、政党や思想を超えて、大変嬉しい。
その意味で、このたび、若く新しい方が政治の道に挑戦されるということを心から歓迎したいと思うし、是非、存分に思想を貫いてもらいたい。
ただ1つ、残念であったのは、それが「選挙区」ではなく「比例代表」であったことだ。
つまり、選挙戦そのものを候補者として戦うことなく、「維新の会」の比例名簿に名前を載せることのみに留まるということだ。
維新の会が、この夏の参院選で改選となる121議席のうち、何議席を獲得できるか、そのうち、比例のみで何議席を獲得できるかはわからないが、比例のみで20も30議席も獲得する、というのは難しいだろう。
既に維新の会の比例代表の公認候補は20人を超えている。
しかし今、維新の会は、「選挙区」ではなく「比例代表」での立候補を希望する候補者のほうが多い状況だと聞く。
そして、その状況について、当の維新の会の代表である橋下市長自身が、先月、記者会見において「当選することだけ考えているような集団はいらない。選挙区でしっかり選挙をやらないで比例名簿に載せるだけでは、テーブルに載せるだけで終わってしまう。そういうメンバーしか集まってこないのは情けない。維新の会も既成政党化してきているという証しなのかもしれない。」と発言している。(彼の発言をそのまま引用)
代表自身がここまで辛辣に言っておられる以上、維新の会としてはこのことについて、何らかの対処をすべきだとは思うが、そのことはさておいても、やはり、選挙は声を枯らして、自分の声で、自分の主張なり政党の主張なりを存分に有権者にぶつけ、そして候補者同士でぶつかり合うというのが基本であることは間違いないし、それが全てだとも思う。
政党の違い、思想の違いは、戦った上での、あるいは、戦うからこそ正当化されるべき違いであり、戦わない者、土俵に上がらない者が、土俵の外からいくら声高に主義主張を述べたところで、それは所詮外野席からのヤジのようなものだと私は思う。
その意味で、今回、比例代表の公認を受けられるその方には、是非、選挙区での戦いを堂々と挑んでいただきたかったというのが本心だ。
秋田の有権者の皆さんに1つでも多くの、具体的な選択肢を示すという意味からも、今からでも選挙区での立候補を考えていただけないものか、と思う。
そしてもう1つ。
維新の会という政党の曖昧さについても一言述べたい。
維新の会は、自民党に対峙して、いずれ政権を担う政党になっていこうとしている政党なのか、それとも、憲法改正などをしたいだけの、自民党の補完政党なのか。
そこをハッキリさせるべきではないか。
民主党は、昨年末以降、どこでどの選挙をやっても自民党に対して連戦連敗という状況が続いている。
そのことを失笑する人も、突き放す人も多いだろう。
しかし、維新の会が本当に政権を担うつもりがあるなら、自民党の「強さ」を前にしてもしっかりと選挙を挑み、主張を戦わせるべきであるし、都合のいいとき、都合のいい場所、都合のいい相手とだけ戦う政党なら、10年たっても20年たっても、この国を背負える政党にはなりえないのではないか。
維新の会の覚悟、維新の会から選挙に出ようとする方々の覚悟を私は問いたい。
勝ち負けなどどうでもいい、とは言わない。
しかし、土俵に上がらない政党のままで、比例票という「風」だけで選挙区という「土」に足を付けない政党では将来はおぼつかない。
風に乗って政権を取り、今、土までもを失った民主党の一地方議員として、こうなってはならない、という意味で、是非、維新の会が奮起されることを願う。
秋田県議会の定数削減について改めて。
昨日、議会運営委員会で採決があり、11人の委員のうち、委員長を除く、10人のうち、6人が「定数2減」に賛成し、委員会としては「2減」ということに決まった。
6人は自民党会派の議員。
反対した4人は私を含め、自民党会派以外の議員という形になった。
反対した4人はいずれも、3人またはそれ以上の定数削減が必要だと一貫して主張してきたが、自民党会派の「2減」という提案とは平行線のままとなり、最終的に採決ということになった。
本来、議会運営委員会では議論を尽くして、最終的に合意に至るというのが本来の姿だし、私もそうすべきと思い、着地点を探しながら提案や意見などを述べてきた。
しかし、合意に至らない場合には採決があるのであり、その結果、その採決結果にどうしても納得できない会派は、本会議の場において、反対討論や、別の条例案などを提案することもできる。
議論を尽くした結果として、合意できなかった場合にはやむを得ないことだろう。
そもそも、県議会議員は何人いればいいのか?
何を基準に決めるのか。
現在、これに明確なルール、法律的な制約などはない。
極端な話、有権者たる県民の皆さんが納得さえしていただければ、最低「1人」から最高は100人でも1000人でもいいということになる。
しかし、そうはいかない。
やはり、他県とも比較して、秋田県の人口規模を見て決めていくというのが基本線となる。
秋田県の人口が減っていくのに、議員が増えていく、ということは基本的にない、ということだ。
今、秋田県議会議員は、人口24000人に1人いるということになる。
106万人の人口に対して45人の議員がいるので、割り算をするとそうなる。
もう5年すると、秋田県の人口は100万人を割り、99万台になる。
仮に、この議員一人あたり24000人という水準を維持するとしても、99万÷2.4万人=41となり、今の議員定数を4人減らさないといけないことになる。
なお、山形、岩手、青森など東北の隣県では、この議員一人当たり人口は、26000人とか28000人という数字になっている。
こういう県と同じ程度にしようとすれば、秋田県議会の議員定数は38人というような数字になってくる。
民主党会派としては、こうした秋田県の人口減少や他県との均衡ということを重視して、議員定数を今回、「5人程度減らすべきだが、最低でも3人。」ということで、削減幅を3〜5人という主張をしてきた。
共産党のように、削減そのものに反対という会派もあり、この議員定数の問題は非常に難しい問題であることは確かだ。
しかし、1つだけ確実に言えることは、「議員定数」は議員が自分たちのために決めたり、融通したりするようなものでなく、有権者の「一票を投ずる権利」を最重視して考えていかなくてはいけないということだ。
率直に言って、議員定数を議員自ら、議会自らが議論して決めるということの公平性や中立性そのものが果たしてどの程度あるのか、ということも思う。
第3者機関や有識者会議で議論していない以上、議会として県民の皆さんに説明できる客観性と論理性が必要だろう。
第15回の民主党秋田県連定期大会が開催されました。
引き続き、幹事長を務めることとなりました。
幹事長としては、「民主党再生のため」、「参院選勝利のため」というふうに当然に思いますが、「民主党はもうダメだ」、「民主党にはもう何も期待していない」という有権者の方も多い中で、ただ、再生や勝利を叫ぶことは意味がないと思っています。
なぜ民主党が再生しなければならないのか、なぜ、参院選で勝利をしなければならないのか、それが「民主党のため」や「議員個人のため」ではなく、日本のため、秋田のためにそうしなければならないのだということを国民・県民の皆様にご理解いただけるかどうか、それが最も大事なことだと思っています。
今、私なりに民主党という政党を、他党との比較で俯瞰して見たときに、非常に微妙な位置にいると感じています。
自民党のような強大な組織力はなく、維新の会のように勢いはなく、社民党のように歴史や積み重ねもない。
なんだ、いいところ何もないじゃないか、と言われてしまうかもしれません。
しかし、1つだけ、他の政党にはないものを持っているとすれば、それは「選択肢を示す」という役割だろうと思っています。
自民党は自民党の選択肢にはなり得ません。
維新の会も「風」はあっても地方において自民党と対峙できる組織や体制はありません。
社民党も単独で自民党に対峙する力はないでしょう。
選挙の勝ち負けはさておき、この秋田において、自民党と組み合って相撲を取り得る政党は、現時点において、「衰退傾向」と言われても民主党しかいないと思っています。
そして、今回の参院選は、民主党が勝つかどうか、というよりももっと本質的には、この秋田県において、自民党という政党と組み合える政党がこれからも存続していくか、それともなくなるか、再びそういう政党が現れるまでに10年、20年また待つか、という意味合いを持っているのだと思います。
この日本にもう一度、二大政党制を作り上げることができるかどうか、その分岐点が7月の参院選だろうと思っていますし、微力ながら私も頑張りたいと思います。