敬老の日。
毎年のことだが、この日は秋田市内でも各地区で敬老会が開催され、祝宴が開かれる。小学生や中学生などが歌や踊りを披露し、また高齢者の皆さん自身もカラオケなどで大いに盛り上がる日となる。
今日のこの日を元気に迎えられた方々は、当然のことながら昭和39年の東京オリンピックを経験されている。人生二度目、2020年の東京オリンピックも是非、心身ともに元気に迎えてもらいたいと願うばかりだ。
私の母もそうだが、高度経済成長期を経験した世代は、当時のことを振り返って、様々な思い出話を聞かせてくれる。「ボーナスより、給与のベースアップ分(年末調整)のほうが多かった」という人もいれば、集団就職で東京に出て苦労した話をする方もいる。戦中・戦後に生まれ、日本の戦後復興とともに人生を歩んできた方々の苦労や努力には惜しみない敬意を払いたいと思う。
しかし、どんなに政治が頑張っても、どんなに安倍総理が威勢のいいことを言っても、もうこの時代のような右肩上がりの時代は訪れない。あの時代を再び、とノスタルジックに振り返ってみても、そこに戻ることはもうできない。
日本は、成熟社会という名の少子高齢化社会であり、「所得倍増」で右肩上がりの時代を生き抜いてきた方々も、今は「年金の切り下げ」や「社会保障費の抑制」こそが一番の関心事という社会状況になっている。
高度経済成長期は、東京一極集中が進んだ時期と見事に重なる。この秋田からも年間4万人を超える人が就職などで毎年県外に出ていった。
奇しくも、という言い方は良くないが、日本列島を縦断した台風の影響で、秋田でもまた避難勧告などが出された。京都など甚大な被害が出ているところもある。
右肩上がりの時代ではないからこそ、暮らしの質や、安全・安心の質を高めていくそういう行政に転換していかなくてはいけないだろうと思う。
佐竹知事は、記者会見で「アベノミクスの効果が出てきた。秋田もその流れにうまく乗りたい。そういうことも9月議会で議論になるのではないか」といった趣旨のことをおっしゃったようだ。
右肩上がりの幻想を追い、足元がおろそかにならないようにすることこそ、県議会は議論をすべきだと私は思っている。