昨日、総括審査に臨んだ。
その質疑内容について、概略をご報告したいと思う。いくつかのことを取り上げたので、日を分けて書いていく。
まずは、旧美術館について。
安藤忠雄による新美術館が「光」だとするなら、今、平野政吉による旧美術館は「影」の存在となっている。出入り口は四方を固く閉ざされ、旧美術館の外観を遠く眺めるしかなく、新美術館や、県民会館などに多くの人が出入りする中、どこか、超然と、いや、悄然と、木々の中に訪れる人もなく佇んでいる。
私は、従来から、なかいちという賑わいの「点」を、秋田駅から仲小路、そして、なかいち、大町から千秋公園・広小路という「面」的な賑わい、動線に変えていかなくては駅前の再開発は失敗に終わると思っている。そして、その動線、回遊の流れを作るための1つのコンテンツとして、平野美術館に新しい使命と命を吹き込むべきだと思っている。
しかし、新美術館を建設する際には、旧美術館が老朽化し、早晩ダメになる、大規模な改修が必要になるのだ、という説明をし、新美術館建設にこぎつけた経緯もあり、直ちに存続・活用ということになれば、その理屈・経緯と矛盾する、ということにもなる。
存続や活用を望む方々も多い中、残すも、壊すも一筋縄ではいかない状況の中、県も秋田市も、2年にわたって手をこまねいてきた。
老朽化していることは確かである以上、仮に、存続・活用しようとしても、何らかの改修が必要となるが、「何らかの改修」に「いかほど」かかるのは現時点で判然としない。
その意味で、存続させるとしても、どの程度の改修費がかかるのかがわからければ、存続という判断すら下せないのが現実である。改修費やランニングコストを上回る、新たな施設としての機能や価値が見当たらなければ、やはり行政としては最終的に「取り壊し」という判断をせざるを得ないということもあるだろう。
昨日の総括審査で、私としては、県も秋田市も手を付けることができずに、宙に浮いたままになっているこの「影」のような旧美術館について、県が止まった時計の針を動かさなくては、存続も廃止もできないままの状態が続くということを強く訴えさせていただいた。
存続ありき、とは言わないまでも、せめて老朽度の調査や、改修等に要する経費の試算ぐらいはしなくては、利活用のアイディアや、その対費用効果さえ判断できないからだ。
その意味で、私の問いに対して佐竹知事が「まずは、県が年度内あるいは遅くとも新年度予算には老朽度調査の予算を計上し、調査を実施したい」という旨の意志を示していただいたことは、存廃を判断するための最初の第一歩だろうと思うし、評価したい。
あの中心市街地、県都の顏をどうするのか、そういうビジョンを自分なりに持ちながら、この旧美術館の取り扱いについては引き続き様々な形で提案などをしていきたいと思っている。