成人の日だ。
今年も大阪市などいくつかの「荒れた成人式」の風景も見られたが、そのことはさておき、国民投票法について少し書きたい。
自民党・公明党は、まもなく始まる通常国会で、憲法改正に係る国民投票の資格年齢を20歳から18歳に引き下げる改正案を提出しようとしている。
一方で、民法上の成人年齢や、公職選挙法上の投票年齢に関しては、置き去りにされたままだ。
私はこれは大変いびつなことだと思うし、憲法改正したいがための粗悪な政治手法だと考えている。
成人とも認められていない、身近な市長や議員、あるいは国会議員に一票を投ずる権利もない若者が、憲法改正のときだけは、責任と選択を負わされるというのは理解に苦しむ。若者が政治や社会に責任を持てるようにするための根本的な処置を政治家たちはもっと真剣に考えるべきだ。
私は政治をもっと教育の現場で取り上げるべきだと思う。そしてまた、前時代的な公職選挙法を改正し、投票率の低下著しい若者の投票行動を促せるようにしていくべきだとも思う。
よく、オトナは「成人になったのだから。」という。「権利と義務が発生するのだ。」とも言う。しかし、現代社会において、権利も義務も自然に、自動的に獲得するのではなく、社会やオトナの側が、彼らにどんな権利と義務を与えるか、にかかっている。憲法、民法、公職選挙法・・・オトナの側がブレているようでは、彼らに胸を張って、「ようこそ」とは言えまい。
今日、地元新聞紙に小さく「県が、景気判断を引き上げ」との記事が載った。
県内景気は下げ止まりから、上方への局面変化を示しているに、引き上げたと。
一方、同じく県が1月6日に公表した月例経済報告もまた興味深い内容であった。
県内企業の現金給与総額215,433円は、昨年度に比べ2パーセント減少、とある。つまり、サラリーマンの平均給与は昨年に比べ、減っていることになる。
もう1つは、物価。秋田市の消費者物価は昨年度より1.4%上がっているとある。つまり、この1年で給与は減って物価が上がったということになる。
確かに、この1年ちょっとで、ガソリン価格は1Lあたり140円から160円ほどに上昇し、灯油価格も18Lで1500円から1800円程度に上がっている。「車社会と長い冬」という秋田に暮らす私たちにとっては、こうした燃料代だけでも1年前と比較し、1カ月単位で見ても、万単位で家計支出が増えている計算が容易に成り立つ。
景気は「気」から、とはよく言ったものだが、上向き、という言葉で空気や気分を創り上げられているが、実際に財布の中身は決して楽にはなっていない。
なお、有効求人倍率が、0.81となり、近年にない高水準となっているが、これもそうした気分に釣られずに、冷静に蓋を開けてみれば、以前として業種において求人・求職のミスマッチは著しく、部品組立、運搬・清掃といったいわゆる単純労務、そして一般事務職については、有効求人倍率は0.2程度であり、5人に1人しかその職種に就けない現状がある。
県民の皆さまの所得・雇用を本当に考えるならば、少なくとも行政は「気分」に酔うことなく数字と事実を客観的に見極める必要があろう。
週が明け、仕事も始まり、また慌ただしい日常に引き戻された方々も多いだろうと思う。
私も元旦、二日あたりは休みをいただき、3日から仕事をスタートさせていたが、毎年恒例の出初式や各種団体の賀詞交換会などが始まると、「今年も一年始まったなあ」という気持ちになる。
こういうタイミングでリーダーが何を言うか、ということは非常に大事だし、私自身も注目しているが、安倍総理は「国民の収入アップ」への決意を述べた。
「国民」が、都会に暮らす人々、高所得者層などの限られた民ではないことを心から期待したいし、さらに地方の目線で言えば、一時的な収入アップではなく、人口が流出し続ける地方に産業と雇用が根付いてこその「経済好循環」であり、このための持続的・抜本的な政策・制度改正に踏み込んでもらいたいと思う。
他方、佐竹知事は、今年の抱負を「翔」という一文字に託した。
ただまっすぐ地を駆けるのではなく浮上していきたい、との意だそうだ。
なるほど、そうあってほしいとも思う。
3年前にジャンプという意味を込めて「跳」という一文字を書き表したこともある知事だが、今年は地に足を付けてやっていくという意味か、あるいはトーンダウンか、そのあたりの真意は定かではないが、嫌われ役になってでも思い切ったことをやりたいという姿勢で迎えた2期目の2年目ということで、どのような政策が出てくるものか、2月議会を楽しみにしたいところだ。
ただ、昨年の秋田ディスティネーションキャンペーンについて、「認知度は上がったが経済効果には結びついていない」という年始の知事発言はどうにもいただけない。
億単位の税金を投入し、新しい部まで設置して、2年も前から準備してきたDCで経済効果がなかったならば、それはカネとヒトと時間の浪費にほかならない。
跳んでも、翔けても構わないが、それは検証や反省をせずに、ただ「跳びっぱなし」「走りっぱなし」で良いということではない。
政策や判断には、常に責任と検証が伴うのであり、夢や希望を語るだけの県政ならば、そうした検証を行うことこそが議会の役割ということになるのかもしれない。
私も、嫌われ役を厭わずに、厳しいことをリーダーたちに直言していこうと思う。