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統一地方選挙

2011年03月19日

本来ならば、4年に一度、統一地方選挙の春が来月に迫っている。

しかし、選挙目前にして、大震災が起きた。
どこかの国、いつかの過去でなく、「今」、「東北」で。家族や親族、知人や友人、多くの縁や長い歴史によって結ばれてきた、同志であり仲間が暮らす隣県で。
選挙どころではない、そんな声が巷にあふれている。
至極、当たり前の感覚だと思う。

自分自身も、今日、かけがえのない友人を一人、岩手に送り出した。
岩手県庁職員だが、人事交流で秋田に派遣され、2年間、秋田県庁で机を並べた。
その彼が、明日、岩手に戻る。岩手県民の命を救うため、守るため、岩手を創りなおすため、安全と安心を取り戻すための長い長い闘いが、彼を待っている。
戦場に戻る戦友に気の利いた言葉一つかけれなかったが、街頭演説や街頭募金、そして先日の被災地支援の際にも使い続けた、真っ赤なベンチコートを彼に託した。岩手を頼む、仲間を頼む、その想いとともに。

そんな中、政府は来月の統一地方選挙を「都道府県ごと、市町村ごと」に延期できるという法律を定めた。
各自治体選挙管理委員会の意見を聴いて、地域ごとに選挙の実施を遅らせるということだ。
被災地を中心に、選挙どころではない、という国民の声に応えたものだ。

秋田もまた、当然に延期されるものと思っていた。
隣人が未曾有の災害で喘いでいる、そして自らもまた物流やガソリン供給の問題により苦しんでいる、そんな状況下で、選挙カーを乗り回し、名前を連呼するなどという選挙が実施されるということは、可能かどうかという次元を超えて、すべきかどうか、という根源的なレベルとして、当然に回避されるべきものだと私は思う。

なぜなら、選挙は、候補者のためでもなく、選挙事務をつかさどる選挙管理委員会のためでもなく、かけがえのない一票を投ずる、自らの地域の未来と暮らしを託す、県民のためにあるものだから。その県民が、そういう空気、そういう情勢下に置かれていないのに、選挙を執行する側の論理によってのみ、その可否を判断するというのは傲慢を通り越して、選挙というものの本旨に背くものだと思うからだ。

しかし、残念なことに、秋田県では県と市町村の選挙管理委員会、そして選挙管理委員会の事務局たる各自治体の判断において、予定どおり来月10日に統一地方選挙が実施されるとの報道がなされた。
報道が事実であるならば、憤りを感じずにはいられない。また、地方分権時代の地方選挙の実施の判断であるのに、「国が決めたから」、「市町村の責任だ」などと、「言いなり」な現職県議までいることにはある種の悲しささえ感じる。
もし、秋田県において統一地方選挙が来月実施されるならば、そのこと自体が選挙の大きな争点ではないかと私は考えている。

被災地にて

2011年03月18日

 昨日の早朝、秋田を出発。二トントラックほか数台の大型バンに、1万本のきりたんぽと2千食の横手やきそば、その他、たくさんの方々からご提供いただいた衣類、オムツ、毛布、生活用品、そして、14人のスタッフを乗せ出発。
 一組は、大船渡市へ。もう一組は、東松島市・石巻市へ。
 被災地支援ということがもちろん第一の目的だったが、「想定外」だらけの今回の震災だからこそ、現場で何が起きているのか、何ができるのか、その一端を知ることが、秋田に暮らす我々の備えにも繋がるはず、との思いもあった。

 到着後、10時間以上炊き出しを続け、きりたんぽ・焼きそば合わせて1万食近くの食事を提供できたが、電気・ガス・水道・ガソリン・道路・物流、あらゆるライフラインが寸断された中で、1700人もの方が小学校での避難生活を余儀なくされている現実の前には「焼け石に水」、「スズメの涙」であったのかもしれない。
 それでも、一日一食という「生存」そのものさえ難しくなるような状況下での温かい食事に、涙を流して喜んでくれた人や、秋田名物うめえなと褒めてくれた人、自衛隊より早く支援に来てくれたと言ってくれた人、家族を失いながらも私たちにねぎらいの言葉をかけてくれる人、震災から立ち直ったら今度秋田に行くぞと力強い言葉をくれた人が大勢いた。

 政府や自治体は「一時避難」から「県外への移動・疎開」も視野に入れ、動き始めた。実際、被災地から多くの方が県外へ「脱出」されている。
 2000箇所を超える避難所、40万人を超える避難者、原発も含めた複合震災という状況では、自衛隊や警察、地元自治体や消防団などが総力を挙げたとしても、被災者支援・被災地復興は容易ではない。
 しかし、未曾有の大震災に遭いながら生き延びてくれた40数万の仲間たちが、避難生活の中で、人としての最低水準の生活さえできないままに、そのために命を失うというようなことだけは何とかして避けなければならない。
 あの1700人の方々は、今夜も暗闇の中で、寒さと悲しみと不安に耐えて8度目の夜を過ごしている。「人間の理性」としても少しずつ限界が近づいてきているように思う。
 長距離バス、新幹線、様々な交通インフラが少しずつではあるが回復してきた。今は個人が個人の判断によって、親族や知人・友人を被災地に救いに行っているが、これからは早急に「集団疎開」を進めていく必要があるのではないか。
 話は変わるが、もし秋田でこれと同じ震災が起きたら・・・現場からそれを考えたとき、私は今の地域防災のあり方を見直す必要があると思う。県や市の防災計画を丹念に見ていくと、何が足りないか、何ををどうすべきか見えてきた。具体的な提言を近いうちに行いたい。
 余談だが、全員協議会などといまさら会議を開いて、役所に注文や要望をしているだけの県議会もあるようだ。こんなときこそ、パフォーマンスと言われても良いから、県議会としての何らかの行動を明確かつ迅速にしてもらえたら、とも思うのだが・・・
 最後に、今回の被災地支援で、大変多くの方々にご支援をいただきました。この場を借りて心から感謝申し上げるとともに、被災地支援はまだまだ続けていくつもりですので、どうか1人でも多くの方々からお力添えをいただければと思います。
 

行動

2011年03月15日

発生した瞬間に血の気が引く、異様な揺れから、早くも4日間が経過した。

自分は、発生時、アポイント先に向かう車中にいたが、急遽、帰宅し、まだ間断なく余震が続く中、地域の独り暮らしのお宅などを訪問し、できる限りの安否確認を行った。
目下、本県では、ライフラインが復旧し、生活物資の不足やガソリン供給の停止といった状況下にはあるものの、それでも私たちは今夜も温かい夜を迎えることができている。この僥倖。
ひるがえって、私たちの多くの仲間たちが今なお、底の見えない絶望と、先の見えない生活の中にいる。多くの命が失われ、それ以上に多くの涙が流れ続けている。
その痛ましすぎる現実に向き合うことこそが、今、温かい毛布にくるまって夜を過ごす私たちにとって、何よりも優先されるべきことであると思う。
 
私は政治家ではない。
しかし、地方において政治を志す人間として、何をすべきか。
 
それは、「行動」であると思う。
 
政治や政治家を特別な場所に置かず、想いを同じくする大勢の人たちとともに、足を動かし、声を出し、手を伸ばすこと。
「調整」や「要請」や「連絡」などではなく。
だから、どこまでできるか分からないが、言葉や形ではなく、行動で被災者支援・復旧支援をしていきたい。
 
明日も街頭で声を出します。
「岩手や宮城や福島の仲間のために、被災者支援のために、県民の皆さまのご協力、ご支援、募金をお願いしています。皆さまの想いは、私たちが責任を持って、現地まで届けます。」と。
 
今はまだボランティアの方などが被災地に簡単に入れる状況にありません。
しかし、それが可能な状況になったときに、1秒でも早く行動に移せるような準備を今からしておきたいと思っています。
それが、募金であり、物資の提供依頼です。
私たちが今やろうとしていること、その手法やタイミングは必ずしもベストではないかもしれません。
しかし、ベストな手法を議論し、タイミングを計る間にも、被災地で苦しんでいる人がいる。そのことに対して行動せずにいられない、そういう多くの人達の気持を1つ1つ繋いでいきたいと思います。
 
それぞれの場で、それぞれの行動を、是非、お願いします。

 

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職。
新しいステージへ挑戦。
現在
秋田市横森在住。

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