舞台は参議院に移ることとなったが、加計学園を巡って激しいやり取りが当面続きそうだ。
50年以上、ということだから、戦後の日本の人口増加や高度経済成長期の最中にあってすら認めらてこなかった獣医学部の新設が、一校に限り、素晴らしいスピードで認められたことについて、安倍総理あるいはその周辺からの指示、圧力、関与があったのかどうか、ということは正直、藪の中ではないかと私自身は思っている。
元文部科学次官の方が記者会見しようとも、省内で共有されていたとされる文書が公開されようと、安倍政権は知らぬ存ぜぬを決め込んで、押し通すだろう。
その論理や姿勢が国民のどう映るかは別として、だ。
実は、私はそうした何らかの利益誘導的な関与や、それに基づく関係省庁の忖度があったかどうか、ということよりもっと大きな問題や憤りを感じていることがある。
それは、元文部科学次官の証人喚問要求について、政府は「私人だから」という理由をもって喚問を拒否した一方で、その私人を官房長官や閣僚が相次いで記者会見などで、その人格やプライベートについての攻撃を続けたことだ。
政府を挙げて、政府に都合の悪い私人を攻撃する、しかも社会の公器たるマスメディアを駆使し、公然と個人攻撃を加える。
この異常さ、この異様さは、民主主義国家のありようとはおよそかけ離れたものだと言わざるを得ない。
国家がたった一人の私人の人格や行動を、過去にさかのぼって暴き、騒ぎたてるということ自体が異常だが、それが違法行為や犯罪行為であるという立証すらされていないまま、あたかもそうした行為、行為者であるかのように攻撃するのは、国家による人権侵害そのものだ。
こうしたことが、当たり前のように行われてしまう、行ってしまう現政権に対して、底知れぬ恐ろしさと権力へのあくなき妄執を感じてしまうのは私だけだろうか。
今さらのように思うが、確かに民主党政権は短く、拙く、未熟であった。
しかし、現政権は熟れすぎて、もはや腐敗していると私は思う。
権力は腐敗する、という明言を借りるまでもなく、強大な権力を保ち続ける政治的技量に長けた自民党は、安定を超えて暴走、熟達を越えて腐敗を始めたのではないか。
未熟で道半ば、未だ国民の信頼を勝ち得ることができていない民進党が、この局面において何をするのか、加計学園のスキャンダルを暴き、批判するだけの参議院にしないでほしいとも切に願う。
こうした腐敗、利益誘導政治からどう訣別するのか、民進党が自らを厳しく律して、その訣別の道筋を国民に示せるか、そこにかかっているのではないだろうか。
先週木曜・金曜と臨時議会が開かれ、予算の審議、堀井副知事の再任、新議長の選出をはじめ、いくつかの議会内の人事案件などが決定された。
先に書いたとおり、私はこれからの2年間、福祉環境委員会に所属し、福祉や環境分野に関する予算審査等を行っていくことになる。
私は、秋田における政治の役割は簡単に言えば、3つの言葉に収れんされると思っている。
1つは、仕事づくり。これは、雇用や産業振興など、まさに地域や個人が経済的に自立・存立していくための基盤づくりということになる。
2つめは、街づくり。市民や県民が生きていく上で、暮らす場所、暮らす地域というものをどういうふうに形成していくか、その場づくりがしっかりしていなければいけない。いくら仕事があっても、住みづらい街、暮らしづらい街ではダメだろう。
3つめは、安心づくり。人は必ず支えを必要とする。生きていくステージによって、それは子育て支援や教育という形であったり、介護や医療という形であったり、変わっていくのだが、いわゆるセーフティネットがキチンと構築されていなければいけない。仕事がある、便利な街だ、というだけでは人はそこに生き続けてはいけない。
福祉環境委員会というのは、主に3つめの安心づくりがその職務だと思っている。
私自身、議会では街づくりや産業政策に関する話題を取り上げて、佐竹知事と質疑をすることが多いのだが、こうした「安全・安心」の部分についても自分なりに見識を深めていきたいと思っている。
2年後には、再び統一地方選挙があるが、県議会は次回選挙において定数削減をすることを見送った。
私は県人口が100万人割れする中、県議会が定数現状維持では県民の理解が得られないと、定数削減を最後まで主張したが、多勢に無勢で削減は見送られた。
そのぶん、県民の皆さまから厳しい目が注がれていると自覚し、質の高い県議会になるよう、努めていきたい。
昨今の国会はだいぶ荒れている、というか、揺れているように見える。
森友学園問題、共謀罪を巡る国会質疑の迷走、復興大臣の失言と辞任など、話題に事欠かない。
1つの政党が圧倒的に強いという状態を、政治的な安定というふうに見ることもできるし、逆から見れば、緩みや驕りというふうにも見えるのかもしれない。
ただ、政党支持率や内閣支持率を見る限り、国民の多くは、個別の政策には不安や不満を抱いていたり、個々の政治家の問題やスキャンダルには怒りや失望を抱いているものの、自民党と安倍政権による安定的な政治そのものを否定していない、というか、むしろ望んでいるのだろう。
個々の問題に対する不満や怒りが、政権全体や政党全体の支持率低下に結びつかないというのは、一見不思議なように見えて、それだけ他の政党が評価にも期待にも値しないということの素直な表れなのだろう。
私が所属している民進党も政党支持率は惨憺たる状況を続けている。
なぜ、そうした状況が続いているか、ということは私なりにいくつか思うことがあるが、そのことは日を改めて、ここに書きたいと思うが、そうした政党全体の低迷という状況は、東京都議選を見るまでもなく、民進党から脱兎の如く抜け出す議員の出現、あるいは、民進党という政党の看板を背負って選挙に出ようという人材の枯渇という結果をもたらす。
そういう中で、私自身もこの半年ほど、民進党秋田県連の代表として仕事をしてきたが、苦しい県連運営や厳しい判断を迫られることの多い半年だったようにも思う。
前代表の辞任に伴い、その残任期間を引き受けたわけだが、その任期が今月で終わる。
私自身、引き続き県連代表の任を果たすということについて、相当な悩みと迷いがあったが、もう2年、この職責を果たそうという決意をした。
非常に厳しい党勢に加え、秋田においては国会議員、首長、市町村議会などを見渡しても、まさに自民党王国と言ってよい状況の中で、自分がどこまで出来るかは正直不安もある。
しかし、私以外に火中の栗を拾う者がいないならば、私自身はそこから逃げることをしたくはない。その一心で、もう2年、県連代表の仕事をさせていただくことにした。
明けない夜はない、と信じて頑張っていきたい。
そして、その任をお引き受けした以上、再び二大政党制の一翼を担える政党に民進党がなれるよう、地方から党本部に対して最も厳しく立て直しを迫っていきたいと思う。
衆議院選挙がいつあるのか知る由もないが、党本部には、活動量の少ない者、責任感や危機感が希薄な者は今からでも公認取り消しをするぐらいの緊張感を持って来たる解散総選挙に備えてもらいたいとも思っている。
そうした危機感や緊張感が今の民進党には極めて少ないことが極めて残念だ。
一度でも政権を取った政党が、今や支持率数パーセントになっていることは、まさに「存立危機事態」であり、その危機感が党所属の国会議員がどれだけ感じているか、そのことをもう一度政党として見極めていくべきだろう。