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じぇじぇ。

2013年10月14日

 先日、福島県飯館村を訪れ、除染状況などを現場の方々からお話を伺った。

 除染、除染と言われてもう長い時間が経過したが、実は、除染は遅々として進んでいない。

 飯館村に関して言えば、宅地については除染対象面積のわずか4%、田んぼは2%、山林は3%という数値になっている。

 除染の基準や手法などの設定に時間を要したことや、除染後の土壌の保管場所の確保などが難航したことなどがその理由とのことで、現場の感覚では、26年度あるいは27年度にまで除染計画はずれ込んでいくのではないか、とのことであった。

 除染は果てしない戦いだ。

 環境省の方針では、山林に関しては宅地など生活圏から20メートルのところまでの除染に限るとされているが、結局、その範囲を除染しても、雨が降り、山から雨とともに土が流れてくると、一度除染した20メートル範囲内の部分であっても、再度の除染が必要になるということが言われている。

 もちろん、山林原野、ありとあらゆる場所を除染するなどというのは不可能な話だが、除染が終わらなくては、帰還もできないわけで、被災地においては本当に長く困難な戦いを強いられているという現実を改めて感じ、帰路についた。

 なお、除染作業は、国が直接除染を実施する「除染特別地域」と、市町村が除染を実施する地域(国が担当する以外の地域)に分かれているが、役場の方の説明では、国が除染を行っている地域ほど除染が進んでいない。

 その理由を、現場の実態に合わないような基準やルールに縛られて除染作業を行っていることがその原因、と役場の方は説明されていたが、同時に、自民党政権になってから、未だ一度も除染を担当している環境大臣などは飯館村に来ていない、ともポツリと呟いておられた。

 飯館村は全域が「特別地域」に指定されている。

 そんな中、復興政務官に就任した小泉進次郎が岩手県を訪れ、「仮設住宅に住む方々が『じぇじぇ』と驚くほど復興が前に進むようにしたい」と言った。

 私からすれば、こういう言葉の軽さこそ「じぇじぇじぇ」なのだが、復興には魔法もなければ革新的なアイディアもないことは周知の事実である。土地に対する執着や愛着という人々の感情の重さを抜きにして被災地の集落移転は進まないし、土や雨、海や川という自然との勝ち目の薄い戦いをこれからも強いられていくのが原発事故対策の現実である。

 驚くような前進などありようもない中で、あまちゃん人気にあやかろうとしただけの浅ましい発言と、そういう受けのいい言葉だけの「小泉進次郎」にあやかろうとする政府自民党のパフォーマンス重視ぶりにため息を禁じ得ない。

 受けを狙うことなく、ひたむきに、地道に復興に努めてもらいたいし、是非、福島県にも足を運び、そして現場の声に耳を傾けていただきたいものだ。

 東京の電気、東京の暮らしを支えてきたのは福島の原発だ。そのことだけは忘れてほしくない。

 

聖域崩壊。

2013年10月08日

 今日閉会した9月議会。

 閉会日に何とも珍妙なことが起きた。

 政府自民党が、TPP交渉に関し、これまで「聖域」と言ってきた農業5品目について、関税撤廃ができるかどうかの検討に入る、と報じられたことを受け、急きょ、自民党会派から、「検討に入るというのは誠に遺憾。」と、自民党の姿勢を非難し、聖域と国益を守ることを求める意見書が提出されたのだ。

 その後、他会派などとの文案調整の結果、自民党会派のみならず、他の全ての会派がこの意見書に賛同をし、今日の本会議においてこの意見書を採択した。

 国の自民党と、地方の自民党は、考え方や方針が違うのか、党の方針に異論があるならば、党のルールに則って意見を出していただければよいのではないかと思うが、いずれ県民・市民・農業関係者はこれをどう受け止めるのか、私としてはかなり違和感を感じたがそのことはこれ以上述べない。

 私は、この意見書に関する討論の中で、「衆院選・参院選で聖域を守ると言って、農業者の藁にもすがる想いを受け止め、選挙に勝った自民党が、その聖域を検討のテーブルに乗せるというのは、公約違反そのものだ。」と述べさせてもらった。

 また、「こうした唐突な方針転換が、日本を離れた遠いバリ島の地から発せられたこと自体、国民不在の交渉となっていることの表れ」とも述べた。

 聖域という日本語は、「ふれることのできない領域や問題」という意味だ。

 自ら「聖域」などと美辞麗句を並べたくせに、今になって聖域586品目のうち200品目以上も関税撤廃の検討対象に加えるというのだから、「聖域」という言葉の価値もずいぶん下がったものだ、とあきれるばかりだ。

 TPP交渉に参加するということは、最初からこうした厳しい交渉になることはわかっていたし、全ての品目が検討対象になることが原則であることもわかっていた。それを安倍総理は、まさに詭弁を弄して、あたかも「5品目はそもそも検討の対象から除外ができる」と国民を信じ込ませた。自民党は選挙に強いというが、強いのは当たり前だ。選挙に勝つためならどんな良い言葉でも吐き出すのだから。

 稚拙なミスや人為的なミスを繰り返す東電のもと、今もなお海に流れ続ける汚染水を「完全にコントロールされている」と国際社会を信じ込ませたこともしかり、今の安倍政権の政治手法は、「ないものをある」と言い、「あるものをない」と言う二枚舌そのものだと私は思う。

 こうした実体のない、実体とな異なる、トリック政治は早晩国民から見放される。

 その時がいつどのような形で訪れるかはさておき、少なくとも、「聖域を守る」と言って、農業団体や農業者の支援や支持を受け、衆参の選挙を勝ち抜いた本県選出の国会議員の方々には、「自分は懸命に秋田のために反対したんだが」というような醜い言い訳を、後日披瀝することだけはしてほしくない。

 そういう言い訳を聞くために県民は皆さんを国政に送り出したのではない。

 結果を出す政治、決める政治を標ぼうするならば、結果の責任も、言い逃れせずに負っていただくことを切望する。

 

旧美術館。

2013年10月05日

 昨日、総括審査に臨んだ。

 その質疑内容について、概略をご報告したいと思う。いくつかのことを取り上げたので、日を分けて書いていく。

 まずは、旧美術館について。

 安藤忠雄による新美術館が「光」だとするなら、今、平野政吉による旧美術館は「影」の存在となっている。出入り口は四方を固く閉ざされ、旧美術館の外観を遠く眺めるしかなく、新美術館や、県民会館などに多くの人が出入りする中、どこか、超然と、いや、悄然と、木々の中に訪れる人もなく佇んでいる。

 私は、従来から、なかいちという賑わいの「点」を、秋田駅から仲小路、そして、なかいち、大町から千秋公園・広小路という「面」的な賑わい、動線に変えていかなくては駅前の再開発は失敗に終わると思っている。そして、その動線、回遊の流れを作るための1つのコンテンツとして、平野美術館に新しい使命と命を吹き込むべきだと思っている。

 しかし、新美術館を建設する際には、旧美術館が老朽化し、早晩ダメになる、大規模な改修が必要になるのだ、という説明をし、新美術館建設にこぎつけた経緯もあり、直ちに存続・活用ということになれば、その理屈・経緯と矛盾する、ということにもなる。

 存続や活用を望む方々も多い中、残すも、壊すも一筋縄ではいかない状況の中、県も秋田市も、2年にわたって手をこまねいてきた。

 老朽化していることは確かである以上、仮に、存続・活用しようとしても、何らかの改修が必要となるが、「何らかの改修」に「いかほど」かかるのは現時点で判然としない。

 その意味で、存続させるとしても、どの程度の改修費がかかるのかがわからければ、存続という判断すら下せないのが現実である。改修費やランニングコストを上回る、新たな施設としての機能や価値が見当たらなければ、やはり行政としては最終的に「取り壊し」という判断をせざるを得ないということもあるだろう。

 昨日の総括審査で、私としては、県も秋田市も手を付けることができずに、宙に浮いたままになっているこの「影」のような旧美術館について、県が止まった時計の針を動かさなくては、存続も廃止もできないままの状態が続くということを強く訴えさせていただいた。

 存続ありき、とは言わないまでも、せめて老朽度の調査や、改修等に要する経費の試算ぐらいはしなくては、利活用のアイディアや、その対費用効果さえ判断できないからだ。

 その意味で、私の問いに対して佐竹知事が「まずは、県が年度内あるいは遅くとも新年度予算には老朽度調査の予算を計上し、調査を実施したい」という旨の意志を示していただいたことは、存廃を判断するための最初の第一歩だろうと思うし、評価したい。

 あの中心市街地、県都の顏をどうするのか、そういうビジョンを自分なりに持ちながら、この旧美術館の取り扱いについては引き続き様々な形で提案などをしていきたいと思っている。

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職し、秋田市長選挙に挑戦。
令和5年4月
政治家として再始動を決意。
現在
秋田市横森在住。

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