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改めて脱原発。

2012年03月11日

 震災から1年、ということについて、ことさら何かを言うべきではない立場だと思っている。
 国会議員のみならず、日本において政治に携わる人間は、この1年間、原発や震災復興について、常に責任を問われ続けてきたはずだし、そうではなくてはならない。
 だから、1年を経過した、という今日は、これまでと何ら変わらず責任を負い続け、そして、その責任を果たしきれていない365日目ということになる。

 誤解を恐れずに言えば、原発は国だけの責任ではなく、それを受け入れてきた地元の政治家、地元住民にも責任がある。
 また、被災地の復旧復興が進まない、と連日報道が為されるが、進まない原因が全て政府にあるかのようなステレオタイプで煽情的な報道では映らない、地元の政治、地元の問題も少なくないと思っている。
 さらには、ガレキの受け入れをはじめとした被災地以外の地域における復興支援についても、その地域の政治家、地域住民の判断、責任というものが問われている。
 ある地域で、福島から避難してきた幼稚園児の入園を地元の父兄らの反対で幼稚園が拒否したというような、「モラルのメルトダウン」とも言うべき状況まで出ている。

 つまり、原発立地地域、地震・津波による被災地域、そして、それ以外の日本国中、この3つに色分けしたとしても、政治家も国民もそのどこかに属しているわけだから、それぞれの立場での責任というものがある。
 少なくとも、震災と原発に関して、責任のない、無関係でいられる政治家は今の日本にはいないはずだ。

 私自身、震災の中で選挙戦を戦い、当選からのこの1年は、被災地支援や秋田の経済復興について頭を悩ませ、満足な成果や結果を出せていないことも多く、力不足を感じるのも事実だし、日本の政治家で胸を張って責任を果たしたと言える人間は恐らくは誰一人としていないだろうとも思う。
 だからこそ、今日、全ての日本国民が黙祷を捧げ、被災地に想いを致したとしても、我々政治家は祈っていてはいけない。
 我々の仕事は祈りを捧げることではないから。
 改めて責任の重さを痛感し、同時に、原発の恐ろしさも痛感する。
 もし原発事故が起きていなければ、震災復興はもっと早く進んだだろう。がれきの受け入れなどとっくの昔に進んでいるだろう。

 この国に原発は要らない。
 誰が何と言おうと、自分はそう思っている。
 原発の要らない日本を作りたい。
 1年経った今日、そのことをまた心に誓う。

 それにしても。
 いつもは東京にいて中継映像を見てしたり顔で語るだけの方々が、ここぞとばかりに被災地入りして、カメラの前に立つ姿は滑稽。
 政治の質を語る日本のマスメディアの質も今問われている。

目の前の危機。

2012年03月10日

 産業労働委員会での当初予算に関する審議が終わりました。
 45人の議員がいずれかの委員会に所属し、それぞれの分野ごとに審議を行い、その結果を各会派ごとに持ち寄り、「予算案に賛成するかどうか」、「問題や修正すべき点はなかったか」といったことを意見集約していくのがこの後の流れになります。

 私自身、未だに慣れない、というか、奇異に感じるのは、委員会としての意見集約は行わないという点です。
 各議員からいろいろな意見が出たり、県当局に対しての提言が出たりするわけですが、採決や意見集約を行うことがないため、端的に言えば、「言いっぱなし」という状態になります。
 他の都道府県ではこの委員会審議をどのように行っているのか、私自身少し研究課題にしてみたいと思っていますが、今の委員会の持ち方では、A議員が「この事業は素晴らしい」と言い、B議員が同じ事業について「こんなんじゃダメだ」と言っても、そこで意見集約がないため、県当局側は、A議員の言うことを聞けば良いのか、B議員の意見を聞けば良いのか、判断できないということになります。

 予算案などに賛成するか反対するか修正するか、といった判断が会派ごとに為されるという現状のため、委員会審議が、一種の「通過儀礼」のようになっているのは、いささか残念なことです。

 さて。
 その委員会の内容について先日に続き、少しご報告を。
 「目の前の課題にどう対応するか」ということで、TDKや秋田エルピーダなど円高不況、雇用不安に対しての対策について県当局から報告がありました。
 1つは、TDKやエルピーダと取引がある企業や、円高などの影響で売上が落ちている企業などに対する金融支援。定番の方法ですが、県が資金を地方銀行に預け、銀行から企業が融資を受けるというスタイルで、利率は1.93%(保証料込み)。
 この支援策に対し、私からは、1.93%という利率設定の妥当性について少し意見を述べさせてもらいました。
 TDKに関しては、取引関係にある協力企業数十社のうち、4社が早ければこの9月に契約解除、つまり受発注関係の解除となり、TDKとの取引にその企業活動の大半を依存してきたところなどは、会社の存続が危ぶまれる状況となる恐れがあります。
 また、その4社が言わば「下請け」的な位置付けだとすれば、さらにその下に「孫請け」的な企業も存在し、こうしたところにも大きな影響が出ることが予想されます。
 こうした企業に対し、金融支援を行うという時に、従来型の「利息をつけて返さなければいけない借金」という形での融資が本当に適切か、正直、私は疑問を感じました。
 震災による被災企業には、無利子融資が行われたりしており、今回の秋田の製造業の危機的状況に対しては、県としても既成概念に捉われない、大胆な金融支援があっても良いのではないか、そうでもしなければ、連鎖倒産は防げないのではないかという危機感を私は抱いています。

 そのことを当局には申し述べ、今後、状況を見て利率の引き下げなども検討してもらうよう要請しました。

 もう1つが、離職者対策です。
 仮に、連鎖倒産などが起きなくても、あるいは、正社員の方々の雇用が守られたとしても、パート・契約社員の方など、いわゆる非正規雇用の方々の解雇という状況は容易に想定されます。
 県では、ハローワークなど関係機関と連携して、転職や職業訓練の支援をするという方針ですが、現在の不況下において、ハローワークに大量に離職者が詰めかけたとして、ハローワークにそれを解決する力があるとは私は思えません。
 率直に言えば、私は国の機関としてのハローワークは廃止し、都道府県や市町村にその業務を移管すべきだと思っている人間であるため、ハローワークにはあまり期待をしていません。
 そのため、県当局には、行政機関だけではなく、むしろ民間企業や民間のマッチング機能、職業訓練機能をフル活用して当たってほしいという要請をしました。

 金融支援も離職者対策も、現在の県の対策からもう1歩も2歩も踏み込んでいかなくては、この状況を乗り切れないだろうというのが私の今の思いです。

 そしてまた、正直、佐竹県政になり、新エネだ、次世代だ、植物工場だ、といろいろなアドバルーンは上がるわけですが、どれも産業として秋田に育ち根付くに至っておらず、行政の投資も中途半端にいつの間にかしぼんでいくような印象も私自身は抱いており、その一方で足元の中小零細企業が資金不足と需要不足で喘いでいる実態がある以上、次の産業・企業を育てる前に今の産業・企業が倒れてしまっては元も子もないということは重く認識していかなくてはならないと思っています。

 

時の洗礼。

2012年03月08日

 独り言めいた話を少し。

 昔読んだ小説に「時の洗礼」という言葉があった。
 時の洗礼を受けた本しか読まないのだ、とその主人公が言う。

 それ以来、というわけではないのだが、なんとなく常にその言葉が頭の片隅にあって、本屋などに行って本を選ぶとき、ついつい、「これは10年後も残っている本だろうか、評価されている本だろうか」などと、小難しいことを考えながら選ぶ悪癖がついてしまっている。

 政治家、という職業になり、その言葉を本屋以外の場所で思い起こすことが増えた。
 20年、30年政治家をやっておられる方は、その「時の洗礼」を浴びてそこに立っておられる。
 そのことに心の中でいつも頭が下がる。
 しかし、何度も言うように、今の政治的命題はある意味で「世代間闘争」だと思っているから、ただただ頭を下げてもいられない。
 その「時の洗礼」を浴びてそこにおられる方を、乗り越えていく強さや気概こそを持たなければならない。
 それこそが、自分自身が今浴びるべき洗礼だと思うからだ。

 そしてまた、議会が開会すると特に県庁職員の方々ともやり取りが頻繁になるが、元上司、先輩、同僚らに対して心の中で謝ることも、頭が下がる思いのときも多々ある。
 自分は、県庁職員だったとき、「役人」とか「役所」という言葉がひどく嫌いだった。
 やや自虐的に自分を自己紹介するときに、「役所勤めです」などと言ったが、そんなときも、心の中では「行政」という言葉を想い浮かべていた。
 20年、30年と「行政」をやってきている人たちもまた、政治家と同じように「時の洗礼」を浴びてきた。
 自分自身、そういう上司、先輩らに育てられて今の自分がいる。

 議会という「場」にいると、そうした洗礼を浴びた政治家、県庁幹部の方々に囲まれている時間がほとんどだ。

 不遜、と言われることも多いが、そのいずれの方々に対しても、常に心の中で頭を下げている。
 本でさえ、時の洗礼を浴びなければならないのなら、ここにいるこの方たちはどれほどの洗礼を浴びて、ここに至っているのか、と。
 しかし、県民の皆さまが私という商品を買ったその対価は、私から生み出される言葉や思想だとするなら、言葉を飲み込むことは県民の皆さんに対する裏切りに他ならない。
 私は「時」という洗礼を浴びていないが、代わりに一度ではあるが「選挙」という洗礼を浴びたことで、今の場所に居る。

 時という洗礼、選挙という洗礼、その二つを自分の心の中にしっかりと置いていきたい。

 心には敬意を、言葉には力を。
 そんな議員になれたらいいな、と思う。

 明日も、産業労働委員会。
 情緒や独り言は横に置き、脳味噌を冷して臨まねばならぬ。

 

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職し、秋田市長選挙に挑戦。
令和5年4月
政治家として再始動を決意。
現在
秋田市横森在住。

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