二名の邦人が死亡するという結末を迎えた事件。
今まで発言は控えていたが、簡潔に書く。
昨年、二名の邦人がテロ集団によって拘束されてからの一連の政府の対応などについて、何か発言すること自体がテロ組織に利するという世論があるが、不見識甚だしいと私は思う。
忘れてはならないのは、2億ドルというお金が安倍晋三のポケットマネーではないということだ。国民からお預かりした2億ドルを、テロ組織たるイスラム国と戦うために拠出し、それは邦人2名が拘束されていることを政府が知っている中で、強い言葉によって表明されたものだ。
税金の使途をチェックするという当たり前の議会の権能が、テロに利するという論理で封じられること自体が、国家を弱くしている。
最善の努力をしたとか、屈したとか屈しないとかそんな情緒的な話ではなく、国民の誰もが、政府が何をし、何ができなかったのか、そして私たち日本人が2億ドルと引き換えに何を得て、何を負ったのか、当然に知る権利がある。今回の事件が、2億ドルの支援とは無関係だという突き放した主張に納得する人がどれだけいるだろうか。言えない空気、何かおかしいと感じる空気、それは漠然とした、とどまることのない不安に変わる。その国民不安を払拭する義務が政府にはある。
2人目の邦人が亡くなったとの情報が流れた朝、安倍総理は会見で「償わせる」と言い、「人道支援を拡充する」とも言った。
私たちは、さらに何かに踏み込み、さらに何かを負おうとしている。
そのことだけは確かだ。
私たち自身が、自覚なき負担、自覚なきリスクに陥ることがないよう、理解と覚悟を持って選択できるよう国家情報を開示していくことが政府に求められる。カネも情報も、政府のものではない。国民のものだから。