先月の豪雨災害に続き、24日からまた大雨となった。
幸い人的被害はなかったものの、雄物川上流部では河川氾濫が発生し、仙北市には避難指示、秋田市ほかには避難勧告などが出されるなど、先月の豪雨災害の爪痕がまだ深く残る中で、再び秋田県が災害に見舞われることとなった。
今回も雄物川水系を抱える県南部において大きな被害となったが、その中でも不眠不休の作業で大曲の花火大会が無事開催され、74万人もの方々に夢のような一夜を提供していただいたことには、関係者の努力にただただ頭が下がるばかりだ。
先月の豪雨災害では私用による不在、今回は海外出張による不在となった佐竹知事だが、今回は頻繁にメールや電話で県庁と連絡を取り合い対処したとのこと。
公務中の海外でさえ、そうしたやり取りができたのだから、先月のような私用で隣県にいるときには当然そうしたことが出来たし、行われていて当たり前だろうとも思うが、そこは反省を踏まえて改善をした、ということなのかもしれない。
ひるがえって、反省や教訓が全く活かされていない点が未だにある。
それは県の情報発信のあり方だ。
先月の大雨の最中、秋田県庁の公式SNSであるツイッターやフェイスブックは、避難勧告や災害情報を一切発信することなく、ひたすら沈黙を続けた。
まるで、佐竹知事が不在であることに後ろめたさを感じているように。
同じ豪雨の中、岩手県庁は数十回にわたり公式SNSで気象状況や避難勧告などの情報を発信し続けた。
私は8月10日の全員協議会において、県庁から県民に対して情報発信が全く為されておらず機能していないことを指摘したのだが、今回、その点については何らかの改善が図られたものと期待していたが、24日から25日にかけての二日間において、わずか2回、それもツイッターにおいて、「詳細は県のHPをご覧ください」というもの、そして「大曲の花火の開催情報は大仙市のHPをご覧ください」というものだ。
同じ二日間で、岩手県はやはり数十回の情報発信を行っている。
同じリスクに直面し、同じツールを持っていても、結局は使う人間、対処する人間の「意識次第」ということを極めて如実に表しているといって良いだろう。
情けない、を通り越して、恥ずかしいレベルと言わざるを得ない。
有事や危機の際、機能しない能天気なSNSなら、むしろそんなものの管理に職員の時間とコストをかける必要はない。
こうしたことが今後も続くようなら、佐竹知事の危機管理能力の低さがますます問われるだろう。
さる10日、県議会の全員協議会が開催された。
テーマは、先般の豪雨災害における佐竹知事の行動や県の対応・体制、あるいは今後の復旧対策といったものであった。
全体で3時間という非常に短い時間の中で、私に与えられた質問時間は6分であった。
11人の議員が質問に立ったが、唯一、私だけがストレートに佐竹知事に「辞任すべきだ」と迫った。
様々な立場、意見があるので、辞任まで求めない、あるいは、引き続き知事として頑張れ、という意見もあって当たり前であるが、私が辞任すべきだ、と議会の場でハッキリと求めたのは、次の理由からだ。
?朝からゴルフに出かけ、昼から酒を呑み(本人は呑んだかどうか自分で覚えていないそうだが)、続々と出される警報や避難勧告を知りながら、ゴルフを続け、ゴルフが終わってから更に酒を呑み始めたことは、「帰れなかった」のではなく、「帰らなかった」という確信犯であり、知事として極めて重大な「判断ミス」をしたということ。
?18:40分ころに各種情報によって秋田県に極めて大きな災害が発生する恐れがあると知りながら、その後、翌朝まで、県庁に電話一本をかけることも、指示することもなく、漫然とその夜を過ごし、翌朝5時半すぎまでどのような連絡も取らなかったことは、県のトップとして指示・判断すべき責任を完全に放棄しており、行政の長としての重大な「不作為」があったこと。
?翌日、公用車を秋田東警察署まで呼び、防災服に着替え、二人の部長をそこから帰宅させるなど、計画的に「ゴルフ旅行」を隠ぺいし、さらに記者会見では自分と部下を守るためにウソをつくといった「虚偽説明」があったこと。
この判断ミス、不作為、虚偽説明という一連の行動について、私は佐竹知事が「県民ではなく自分を最優先」したという「自分ファースト」の政治姿勢によるものだと痛感したため、もはや知事としての資格はないと考え、辞任を迫った。
また、この2日間の知事の説明には不可解な点や曖昧な点、矛盾が大変多いが、こうしたことについて、県幹部らが口裏を合わせるようにして、知事の政治生命を守ろうとしていることにも大変な憤りを感じている。
県民を守らねばならぬ知事が自分を守り、その知事を守るために県庁が必死に様々なことを取り繕っている。
そしてそうした知事や県組織の緩みは、オール与党化した県議会によって守られているという安心感、怠惰な心によって生まれるものであろう。
馴れ合い県政、ここに極まれりである。
微力だが、県政に緊張感をもたらすため、これからもストレートに県政に向き合っていきたい。
自分で酒を呑んだかどうか覚えていないような人が、知事の任に引き続き当たるということが許される秋田県であるならば、なおさら、私が言わねばならぬこと、やらねばならぬことは多い。
佐竹知事には、復旧予算が成立したのちに、自ら潔く身を引いていただきたい。
秋田県での大雨被害への対応に追われていた最中、ニュース速報で民進党の蓮舫代表が辞任することを知った。
事前に知る術も、事前に知り得る立場にもないため、その速報が第一報となったのだが、正直、驚いたというよりは「やはり」という感想のほうが強かった。
二重国籍問題の影響がないとは思わないが、それ以上に蓮舫代表に党運営は行き詰まっていたように地方議員の私ですら感じていた。
「行き詰まり」の中身をここで縷々書き記すことはしないが、やはり次期衆院選の足音が近づく中、野党第一党として憲法をどうするのか、経済をどうするのか、地方の人口減少や社会保障制度の持続可能性への懸念といった「この国のありよう」や「国政政党としての根本的立ち位置」について、常に安倍政権との対比や反射でしか自らの主張を語ることができない状況が続いていたことが最も大きいように感じる。
もちろんこれは蓮舫代表1人の責任というより、野党転落後の民進党が未だに背負い続けている「国政政党としての脆さ」そのものであるのだが、その立て直しを図るべく「対案路線」を打ち出した蓮舫代表であったればこそ、この行き詰まりには自らも忸怩たる思いはあっただろう。
私自身は誰が総理大臣であろうと、どこが政権与党であろうと、「憲法改正」の問題を有耶無耶にしていては、いつまで経っても政党としての信頼は得られないと感じているし、一つひとつの根本的政策について、民進党自身の立ち位置を「相対的」ではなく「絶対的」なものとして鮮明にできないようなら、解党も一つの選択肢と思っている。
今、国民には選択肢がない。
これほどに内閣支持率が低迷し、「支持政党なし」という層が最も分厚い政治的民意となっている中で、自民党に対峙しうるしっかりとした野党を作り上げることは、何よりも急務の課題だと私は思っている。
民進党の立て直しが、その課題に応える最も近い道であるならば、その道を迷わず進むべきであるが、民進党の解党や野党再編がむしろ「真の二大政党制」に近づく道であるならば、そこから目を背け、党の維持や体面にこだわり続けるよりは、思い切った政治的判断をするべきだと私は考えている。
その意味で、私は真の二大政党制を実現するために民進党が捨て石になっても構わないという立場を取っている。
次にどういった方が代表になるのかはわからないが、そうした覚悟とビジョンをしっかりと持った方に代表になっていただきたいし、率直に言えば、旧民主党政権下において閣僚などを務めた方だけで代表選が行われることは避けてもらいたいとも思う。