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市役所建設に思う。

2013年08月22日

 秋田市の庁舎建設が混迷の度を深めている。

 市政のことではあるが、少し考えを述べたい。

 4月の市長選において、秋田市の新庁舎建設を掲げた候補者が当選し、既存施設の有効活用を訴えた候補者が落選した。そして、その選挙期間中に、新庁舎建設は地元発注する、ということも追加的に公約し、穂積市長は当選された。

 新庁舎を地元企業の手によって建設すること、ということが選挙を通じて市民に選択されたものだと私は理解している。それが「民意」であったと理解している。

 その結果に従い、秋田市は95億円の予定価格で入札をしようとしたが、結果、手を挙げた業者はいなかった。設計に用いた単価が古く、最近の資材や人件費高騰の面を反映されていなかった、というような事情があったようだ。

 なぜ、最新の単価を用いなかったのか、資材高騰などの状況を十分に調査せずに予定価格を決めたのか、といった点で、「甘かった」と言われればそのとおりだが、私としてはまだここまでは理解できる。

 しかし、今回、95億を105億に引き上げ、しかも、県外のゼネコンなども参加させるよう、公約を曲げてまで対応したにもかかわらず、これまた県内外問わず、手を挙げた業者はいなかった。

 2度にわたって、入札そのものが成立しなかった、ということになる。

 私は、この2度目の対応は、「甘かった」では済まされない非常に大きな問題を孕んでいると感じている。

 まず1つには、10億という引き上げ幅である。10億という引き上げで足りないことぐらいは、素人目にも明らかであったし、地元建設業者からも125億ぐらいでないと無理だという申告を市は受けていた。にもかかわらず、である。

 予定価格、は入札に当たって役所側が設定する「上限額」である。私も県庁在職時にこうした入札事務に携わっていたことがあるが、1度ならず2度までも、しかも、これほど役所側の「上限設定」と業者側の積算がかい離するケースを聞いたことがない。

 10億引き上げた後、市は「直近の資材単価などを反映させた」と言っている。直近のデータを用いてなお、これだけ開きがある理由は何か。どういう積算をしたのか、「甘かった」では済まされない金額であり、手法だと感じる。

 2つめには、県外のゼネコンも参加させたことである。これは、甘い、とか、辛い、といった問題ではなく、既に公約からずれている。この方針転換の理由も市民には明らかにされていないだろう。

 3度目の入札にトライするようだ。

 穂積市長は従来からの主張どおり、「130億という総事業費の範囲内に収める」、「本体設計の見直しは行わない」という考えを昨日の記者会見でもお話されたようだ。

 しかし、建設業者の見立てどおり、120億を超えるような本体工事予算なのだとすれば、130億の範囲内に収めることは不可能で、私にはこの2つの方針はもはや両立しえないのではないかとさえ思える。今回の入札不成立で消費税が増税されればその分も秋田市が新たに負担しなければいけなくなりそうだ。これとて、今回の入札でしっかりとした積算や対応ができていれば、負担せずに済んだ「無用の負担」であり、ある種の市税のムダ遣い、市政への損害とも言える。

 今回の入札不成立は、一度目とはわけが違う。一度目が行政的な「検討ミス」だったが、二度目は政治的な「判断ミス」である。

 地元発注という方針はもはや崩れた。

 130億という議会(市民)との約束も崩れるかもしれない。

 それでもなお、新庁舎の本体設計は1ミリも見直したくない、というのは私には正直理解できない。

 130億を超えてでも、県外ゼネコンにお任せしてでも、市役所に「市民ホール」や「音楽室」や「陶芸室」や「茶室」が必要だということか。

 文化活動は否定しないが、私はもし県庁を立て替えて、茶室を新たに追加する、という案が県当局から出されたら、首を縦に振ることはないだろう。

 

  

いつか戻りたい秋田。

2013年08月11日

 秋田・岩手両県に甚大な被害をもたらした豪雨災害の最中、秋田県では2回目となる「子ども議会」が開催された。

 豪雨災害については、私もいろいろ思うところもあり、復旧作業や人命救助などもまだまだ途上の段階であるので、後日、改めて書くこととして、今日はこの子ども議会について書きたい。

 正確には、今年は「子ども議会」という名称ではない。

 初めてとなった昨年は小学校高学年を中心として行ったため、この名称であったのだが、今年は中学生・高校生を対象としたものに変更したことから、その名称も「わか杉県議会」となった。

 小学生がいいか、中高生がいいか、というのは一概には言えないが、個人的には中高生を対象として継続していくのがいいように感じている。社会に出ること、選挙権を得ることが間近な若者にとっては、単なるキャリア教育の場としてではなく、政治的リテラシーを身につける機会にもなるだろうと思うからだ。

 就職や進学を控えた高校生なども質問に立った今年は、より現実的で、自分の実生活や進路などの問題に即したテーマが多かったようだ。その中で、私の心にずしりと響いた言葉は、「いつか戻りたい秋田」をつくってほしいという、ある高校生のものだった。

 いつか戻りたい秋田。

 この言葉が意味することはなんだろうか。

 思えば、秋田の行政や政治は、「暮らし続けられる秋田」をつくろうとやってきた。

 大学進学で県外に行ってしまう若者が多い。それに歯止めをかけるために、秋田県立大学や国際教養大学などが作られた。

 働く場所がないから若者が出て行ってしまう。それに歯止めをかけようと、様々な助成金や補助金で企業における雇用力を高めるようにし、また、産業振興にも力を入れてきた。

 子育て支援や結婚支援しかり、若者や現役世代に対して、「秋田で暮らし続けてもらえること」このことを最優先に考えてきたはずだ。

 私自身、県庁で働いていたときも、議員になってからもそう思ってきた。それは方法論としては間違ってはいないだろう。しかし、結果は芳しくはない。以前として、人口減少と人口流出、そして過疎やコミュニティの弱体化などの問題と、県政は戦い続けている。

 そして今の若者は、官僚や政治家なんかよりも、もっともっと現実を冷徹に見ている。そのことが、いつか戻りたい秋田、という言葉に凝縮されているのではないだろうか。

 秋田で暮らし続けられるように、という淡い期待や、幻想にも似た希望ではなく、彼らは、自分たちの学びや、就職や、夢のために、県外にその場を求めていかざるを得ないことを、実感として、体感として、ひしひしと感じている。

 だからこそ、県外に出ていくことを前提としながら、しかし、この生まれ育った秋田にいつかはまた戻ってきたい、という強い郷愁と想いを込めて「いつか戻ってきたい」「戻ってこられるなら」と思っているのではないか。

 こうした「消極的旅立ち」を決意させざるをえないことについて、私も含め、秋田の政治家はもっともっと痛切に、自らの責任を感じなければならない。

 そして、政治家のみならず、現役世代の方々、民間企業の方々は、「自分がなんとか暮らしていければいい」などという思考回路を捨て去らなくてはいけない。

 生意気だ、と叱られることを承知で言えば、秋田の政財界のリーダーと言われる方々は、お互いをお互いに守りあうようなことではなく、何より将来世代と、秋田の未来を守るべく、リスクを取ってもらいたいし、なれ合いを打破して、果敢に挑戦してもらいたいとも思う。

 守りに入ったオトナたち、現状に甘んじているオトナたちの背中を、子どもたちは見ている。

 そして、そういう背中を見ながらいつからか秋田を諦め、しかし、諦めきれずにいつかまた秋田に戻ってこれる日をぼんやりと想像している。

 そうだとすれば、これほど悔しいことはない。

 今年のわか杉議会は、自分にとっては非常に重いものになった。

 いつか戻りたい、などと若者に言わせなくもいい秋田をつくりたい。微力ながら尽くしたい。

 

 

 

ナガサキ。

2013年08月09日

 人の言葉や文章をそのまま引用するというのは、言葉を武器とする政治家としてはあまり褒められたことではないと思う。

 それを承知で、その言葉があまりにも素晴らしいものであるがゆえに、今日はその言葉をそのままここに転記したいと思う。今、私たちがちゃんと知るべき、正面から向き合うべき最も大事な問題がここに凝縮されており、これ以上の何の言葉も、解説も加える必要はないものだ。

 

 以下、2013年8月9日 長崎市長の長崎原爆の日に当たっての平和宣言全文。

 

 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていた街は一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち74,000人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。

 このむごい兵器を作ったのは人間です。広島と長崎で二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し、地球を汚染し続けているのも人間です。

 人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折りにふれ確かめなければなりません。日本政府に被爆国としての原点に帰ることを求めます。

 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。しかし日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有を目指す北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。日本政府には被爆国としての原点に帰ることを求めます。

 非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国にはNPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。

 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで「核兵器が存在する限り私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。

 しかし、世界には今も17,000発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を国のリーダーだけに任せるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」という日本国憲法前文には平和を希求するという日本国民の固い決意が込められています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を戦争がもたらした数々のむごい光景を決して忘れない、決して繰り返さないという平和希求の原点を忘れないためには戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ウォー ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声をあなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そしてあなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか、考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和の求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。

 長崎では今年11月、「第5回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は福島の一日も早い復興を願い応援していきます。

 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。

 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在2期目。
現在
秋田市横森在住。

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