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今後の政治活動について

2017年10月28日

 このたび、民進党秋田県連の代表を辞任し、離党の上、無所属で活動していくことを決断しました。

 その理由について、申し上げる前に、私自身の政党や政治、あるいは民進党という政党に対する考えを少し述べさせていただきたいと思います。

 一長一短、賛否両論はありますが、私はこの日本にも成熟した二大政党制が必要だと感じてきました。自民党という政党、その政治力を否定するのではなく、自民党と拮抗しうる政党や政治力が必要であり、その切磋琢磨の中から、国家と国民の幸福を実現する術を模索していくべきだと考えるからです。

 そして、これだけ世界や日本の社会経済情勢や国民の価値観が多様化・複雑化している中では、その二大政党はそれぞれ、多様な価値観を包含・包摂しながら、幅広い議論を行い、1つの結論に収れんしていくというのが現代の民主主義のあり方だとも考えてきました。

 その思いがあったからこそ、8年前、自民党に対峙しうる政党としての民主党からの出馬を決断し、野党に転落してからの民主党・民進党についても、離党などを一度も考えることなく、支え続けてきました。

 10年かかっても、20年かかっても、もう一度、民進党という政党が政権を担えるようになるまで、政党や政策を練磨し、国民の信頼を回復するという道から逃げてはいけないと思ってきましたし、消費税率にも至らぬような民進党の支持率の低さに暗澹たる気持ちになることはしばしばありましたが、自分なりの矜持と責任を持って、ここまでやってきたつもりです。

 民進党の政策や政党運営に対する至らなさ、未熟さは言うまでもありませんが、それでもしかし私は、「自助」や「成長」を強く求める自民党に対して、「共助」や「分配」を軸とする民進党が必要とされる時が来ると思ってもきました。

 そうした中で、今回、民進党を離れる決断に至ったのは、次のような理由からです。

 政党は、政権を担い、政策を実現することで国民の負託に応えることがその責務だと私は考えています。

 衆議院選挙は、政権選択選挙であり、その選挙において、如何なる理由があろうと候補者を一人も擁立しなかった民進党という政党は、政党としての存在意義を失ったのであり、希望の党との合流で選挙結果が芳しくなかったからといって、「やっぱり存続します」ということは、国民の理解が得られないと私は判断しました。民進党は速やかに解党すべきだと考えています。

 そしてまた、希望の党への合流は、民進党所属の国会議員のみで決定され、地方議員や党員・サポーターの方々はいかなる意見を差し挟むこともできませんでした。そして、その合流を満場一致で決めた国会議員らが、合流や排除、新党結成など、ドタバタ劇を繰り返し、合流が失敗だという空気になれば、代表や党首に全ての責任を押し付けてしまうような姿を、国民は信頼することはないだろうとも感じました。

 国民のためにあるはずの政党が、国民を置き去りにし、政党を支えてきた多くの方々を置き去りにし、いつの間にか国会議員の生き残りや保身のための道具になってしまっていると言わざるを得ないのではないでしょうか。

 こうした民進党の一連の決定や動きについて、私は上述したような自らの信念を曲げてまで、これを受け入れようとは思いません。

 選挙後の様々な残務処理が終わった時点で、速やかに民進党を離党することにいたしました。

 なお、民進党は事実上、4つに分裂をしました。

 立憲民主党、希望の党、無所属の会、そして民進党です。

 民進党を離党したとしても、国政政党である立憲民主党と希望の党には、1人の地方議員として入党は可能であろうとは思います。

 しかし、曲がりなりにも、責任と矜持を持って貫いてきた「民進党」を離れたからといって、すぐに別の政党に乗り換えられるほど、私自身は器用ではありません。

 悩み抜きましたが、一度、政党というものから離れ、いったん立ち止まり、秋田のために自分が何を為すべきか、何ができるか、という原点に立ち返るためにも、無所属での活動を続けていきたいと考えています。

 政党からのサポートがなくなることで、今後の政治活動には、制約や不足、不利なことが様々生じてくる可能性はありますが、そうしたことを覚悟の上で、険しい道のりではありますが、一歩ずつ歩んでいきたいと思います。

 引き続き、皆さまからのご指導・ご支援を賜りますことを心からお願い申し上げます。

 

最後の民進党県連代表。

2017年10月05日

 選挙を目前にして目まぐるしく変わる状況や、今回の民進党の事実上の分裂について、いくつか簡潔に書いておきたい。

 まず、希望の党への「合流」について。

 合流そのものは否定しないが、その合流が「全員の合流」になるはずがないことは素人でも解ることだった。であるならば、私としては、希望の党によって「排除」や「選別」される前に、せめて自らの判断と責任によって、民進党という党を円満に分党するような判断すらできなかったことは極めて情けないと思っている。

 自分たちの「行き先」を誰かに決められているような状況は国民にどう映るだろうか。

 願わくば、これが後々、政治の新たな流れを創るための、必要な「産みの苦しみ」であったと言えるようになれば、と思う。

 もう1点、秋田県における希望の党公認候補者について。

 2区緑川候補、3区村岡候補については、党本部の方針どおり希望の党の公認候補として、自民党に対峙する構図ができたことは、これまで両候補を支えてきた自分としても嬉しく思っている。

 1区の松浦候補については、私自身、民進党所属議員として松浦候補の2度の参議院選挙を支えてきたし、仲間だという意識は持ってきた。

 しかし、1区では寺田学氏を民進党県連として支えてきた経緯もあり、寺田氏が比例区に廻ること、松浦候補が小選挙区で出馬することについて、1区の支持者の方々がストンと腑に落ちるか、と言われれば、残念ながらそうではない方も当然おられると思う。

 コスタリカ、と言われる今回の決定について、寺田候補、松浦候補が様々な思いを持ちつつも、腹を割って話し合い、それぞれの支持者の方々にも説明してもらい、しっかりと連携をして選挙を戦ってもらいたいと思う。

 そして最後に、私自身の関わりについて。

 「民進党県連は希望の党の公認候補者を支援すること」という党本部決定にはもちろん私は従うつもりだ。

 最後の民進党県連代表として、民進党が解党するまで、責任を持って職責を全うしたいと思う。

 民進党が解党した時点で、私は民進党県連の代表でも、民進党所属の県議会議員でもなくなる。

 自分自身の出処進退は、そのときに明らかにしたいと思うし、希望の党の政策等についても、思うことは多々あるが、今はまず目の前の選挙において、政権交代可能な二大政党制を創り上げるための戦いに微力ながら力を尽くしたい。

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職し、秋田市長選挙に挑戦。
令和5年4月
政治家として再始動を決意。
現在
秋田市横森在住。

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