このたび、民進党秋田県連の代表を辞任し、離党の上、無所属で活動していくことを決断しました。
その理由について、申し上げる前に、私自身の政党や政治、あるいは民進党という政党に対する考えを少し述べさせていただきたいと思います。
一長一短、賛否両論はありますが、私はこの日本にも成熟した二大政党制が必要だと感じてきました。自民党という政党、その政治力を否定するのではなく、自民党と拮抗しうる政党や政治力が必要であり、その切磋琢磨の中から、国家と国民の幸福を実現する術を模索していくべきだと考えるからです。
そして、これだけ世界や日本の社会経済情勢や国民の価値観が多様化・複雑化している中では、その二大政党はそれぞれ、多様な価値観を包含・包摂しながら、幅広い議論を行い、1つの結論に収れんしていくというのが現代の民主主義のあり方だとも考えてきました。
その思いがあったからこそ、8年前、自民党に対峙しうる政党としての民主党からの出馬を決断し、野党に転落してからの民主党・民進党についても、離党などを一度も考えることなく、支え続けてきました。
10年かかっても、20年かかっても、もう一度、民進党という政党が政権を担えるようになるまで、政党や政策を練磨し、国民の信頼を回復するという道から逃げてはいけないと思ってきましたし、消費税率にも至らぬような民進党の支持率の低さに暗澹たる気持ちになることはしばしばありましたが、自分なりの矜持と責任を持って、ここまでやってきたつもりです。
民進党の政策や政党運営に対する至らなさ、未熟さは言うまでもありませんが、それでもしかし私は、「自助」や「成長」を強く求める自民党に対して、「共助」や「分配」を軸とする民進党が必要とされる時が来ると思ってもきました。
そうした中で、今回、民進党を離れる決断に至ったのは、次のような理由からです。
政党は、政権を担い、政策を実現することで国民の負託に応えることがその責務だと私は考えています。
衆議院選挙は、政権選択選挙であり、その選挙において、如何なる理由があろうと候補者を一人も擁立しなかった民進党という政党は、政党としての存在意義を失ったのであり、希望の党との合流で選挙結果が芳しくなかったからといって、「やっぱり存続します」ということは、国民の理解が得られないと私は判断しました。民進党は速やかに解党すべきだと考えています。
そしてまた、希望の党への合流は、民進党所属の国会議員のみで決定され、地方議員や党員・サポーターの方々はいかなる意見を差し挟むこともできませんでした。そして、その合流を満場一致で決めた国会議員らが、合流や排除、新党結成など、ドタバタ劇を繰り返し、合流が失敗だという空気になれば、代表や党首に全ての責任を押し付けてしまうような姿を、国民は信頼することはないだろうとも感じました。
国民のためにあるはずの政党が、国民を置き去りにし、政党を支えてきた多くの方々を置き去りにし、いつの間にか国会議員の生き残りや保身のための道具になってしまっていると言わざるを得ないのではないでしょうか。
こうした民進党の一連の決定や動きについて、私は上述したような自らの信念を曲げてまで、これを受け入れようとは思いません。
選挙後の様々な残務処理が終わった時点で、速やかに民進党を離党することにいたしました。
なお、民進党は事実上、4つに分裂をしました。
立憲民主党、希望の党、無所属の会、そして民進党です。
民進党を離党したとしても、国政政党である立憲民主党と希望の党には、1人の地方議員として入党は可能であろうとは思います。
しかし、曲がりなりにも、責任と矜持を持って貫いてきた「民進党」を離れたからといって、すぐに別の政党に乗り換えられるほど、私自身は器用ではありません。
悩み抜きましたが、一度、政党というものから離れ、いったん立ち止まり、秋田のために自分が何を為すべきか、何ができるか、という原点に立ち返るためにも、無所属での活動を続けていきたいと考えています。
政党からのサポートがなくなることで、今後の政治活動には、制約や不足、不利なことが様々生じてくる可能性はありますが、そうしたことを覚悟の上で、険しい道のりではありますが、一歩ずつ歩んでいきたいと思います。
引き続き、皆さまからのご指導・ご支援を賜りますことを心からお願い申し上げます。