一言で言えば、「県議会の存在意義」そのものが問われる12月議会だったと感じている。
衆院選と同時並行で開会していた12月議会、本会議や委員会を欠席などして選挙応援に走った自民党議員は延べ14人に上った。
我々県議会議員が誰から給料をもらっているか。それは、県民の皆さまから「県政発展のための議会活動」をしっかりやれ、という付託を受け、その対価として給料を得ているということであり、国政選挙のために本会議を休むというならば、その給料を受け取ってはならないということになる。そういう方々は、国会議員から選挙活動の対価として給料をいただけばよろしいのではないか。こういうことが、県議会というものの必要性や存在価値を自ら否定している行為に他ならない恥ずべき行為であることを、自民党議員の方々には深く自覚してもらいたい。
さらに、こうしたことが起きる中で、今議会には、知事と県議会議員のボーナスをアップするという条例が提案され、これについても県議会において単独過半数を占める自民党議員らが全員賛成に廻ったことで、いとも簡単にボーナスがアップしてしまった。
私は「今、我々政治家が為すべきことは、自らの所得を上げることではなく、与野党を超えて、国政県政の枠を超えて、県民の所得を上げることであり、そのために将来世代からの借金で補っている貴重な財源を最大限、効率的・効果的に政策予算に振り向けていくこと」と討論し反対したが、知事・議員のボーナスアップに反対したのは、私を含む民主党議員のみだった。
結局、議会をさぼっても、選挙応援に走っても、ボーナスを上げてもよい、上げても許されると思えるのは、「何をやっても選挙に勝てる」という自民党のおごりそのものではないのか。
その根底にあるおごりを正すことができるのは、有権者だけであり、選挙の洗礼によってだけである。
こうした「お手盛り」議会に対して、有権者の皆さまが厳しい審判を下していただけることを心から期待をしたい。
国民・県民ののため、景気回復のため、所得向上のため、と言って、多数を握り、その結果やっていることが自分の所得向上なら、有権者の皆さまの「一票」の何と虚しいことか。
約一か月ぶりの更新となってしまった。
解散から選挙戦への突入、そして今日に至るまでの1カ月という時間は短いようで、本当に長かった。折しも12月議会の開会中であり、私自身の今任期最後の一般質問も控えていたような時期でもあったことで、身体が一つでは足りないというような状況であった。
今回の選挙、終わってみれば全体として有権者の「ギリギリの見極め」が行われたのではないか、というふうに私自身は捉えている。
自民党が単独で300を超えるか、というような報道もあった中、結果、わずかではあったが、自民党は議席を減らした。このことは、民意の中に自公政権を「是」としながらも、慢心や暴走などに対しては、ひとつクギを刺しておこうという空気があったのではないかと思う。
反対に、100を超えるか、とも当初言われていた民主党は、結果、議席は増やしたものの100議席には遠く及ばなかったし、党首が落選するという結果にもなった。
このことは、野党転落からの2年間、民主党が結果として悠長に構え、「党としてまとまること」などという内向きのことにエネルギーの大半を使い、アベノミクスに代わる明確な政策軸を出すことも、国民の期待を呼び戻すような野党再編に向けた準備もほとんどできずに、選挙を迎えてしまったことが有権者に見透かされていたのだろうとも思う。
また、第三極と言われた政党は、維新の党を除き、ほぼ壊滅的な状況となった。これもまた、保身のために離合集散、乗り換えや飛び乗りを繰り返すだけの政党の存在価値を有権者が認めなかったということだろうし、維新の党はその中でやはり「身を切る改革」という分かりやすさと橋下代表の舌鋒によって、一定の存在感を示しえたということだろう。
自公の「更新」と、第三極の「淘汰」、そして民・維への「叱咤」これが結果としての民意、総体としての空気であったのではないかと私は感じている。
こういう中で、秋田県における選挙を幹事長という立場で分析すれば、1区、2区、3区のまさに「自動更新」とも言えるような自民党の盤石な組織戦に対して、民・維が「前向きな叱咤」を受け止め、なんとか足がかりを残したということだったし、もちろん、1区、2区ともに小選挙区での勝利を目指して戦ったわけだが、現状の戦力、体制、あるいは政党支持率などを冷徹に見れば、候補者を擁立した1区、2区ともにこれ以上ない結果ではないかと思っている。
その意味では次に繋がり得る結果となったことは間違いないが、本当に繋がるかどうかは、ここからの政党として、個人として、あるいは県連としての地道な活動やクリアな発信力にかかっている。特に、1区では、民主党と書いた方の倍近い方が「寺田学」という名前を書いた。このことは、彼自身の発信力や引力を活かした選挙戦略をやりきったことの証左でもあるが、逆に言えば、寺田学と書いた方々の半分には民主党という「組織」を評価してもらえていない、ということであり、こうした個人票を組織票に取り込んでいく活動が、今後の課題になるだろう。
来春の戦いを控えた私自身が、自分のことを棚に上げ、こんなことを論評することはなかなかおこがましいことではあるが、最後に一言付け加えるとすれば、民主党という政党が、そして比例復活にて議席を得た寺田学さんが、敗れたものの大善戦した緑川たかしさんが、これから10年、巨大なものと戦い続けるためのスタートラインについた、それが今回の選挙の政治的位置付けなのではないかと感じている。