今回の震災で、家族を失い、家を失い、仕事を失い、心に深い傷を負った人が一体どれほどいるのだろう。
避難者の方全て、とは言わないまでも、その大半の方が、なにがしかの傷を負い、何かを失ったはずだ。
人間は、土地や家庭や仕事や様々な関係に縛られて生きている。人はそれを時に煩わしくも思うものだが、しかし、縛られている、ということは、そこに「必要とされる自分」が在るということであり、だからこそ、人はいろいろな不自由な思いをしながらも、そこで生きていこうとする。
人知や科学を軽々と超えて見せた圧倒的な地球の力により、自分をそこに縛り付ける「理由」が根こそぎ奪われてしまった人達は、埋めがたい喪失感に陥り、今、そうした人々への心のケアが始まっている。
何万人の人が、生まれ育った土地を離れ、「疎開」をすることになるのかは未だ判然としない。
しかし、こんなときだからこそ、隣人である私たち、秋田が、そんな人達の新しい「生きる理由」になってあげられないだろうか、と思う。
人は生きることに「理由」を必要とする、とても弱い生き物だと私は思う。
被災した人たちを、両手で、温かく抱きしめ、「ここにいていいのだ、いつまででもいてくれていいのだ。空き家でよければ住む場所はある。米で良ければ食べ物はある。仕事はそのうちゆっくり探せばいいじゃないか。」とただただ迎えてあげられないだろうか。新しい縁や新しいふるさとになってあげられないだろうか。
そして、いつの日か、その人たちがまたふるさとに帰れる日が来たとき、その人たちにとっては秋田がもう1つのふるさとになるはず。
そういう懐の深い、包容力のある秋田でありたい。
電気も戻ってきた、ガソリンも戻ってきた、暮らしも戻ってきた。秋田の企業活動や経済にも大きなダメージがあり、それを取り戻すのはこれからだが、私たち自身も1日も早く元気を取り戻して、そして、隣人たちを
元気な秋田で迎えてあげたい。それがきっと被災者の方々の傷を癒す道にもなるだろうから。