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ふるさと

2011年03月20日

 今回の震災で、家族を失い、家を失い、仕事を失い、心に深い傷を負った人が一体どれほどいるのだろう。
 避難者の方全て、とは言わないまでも、その大半の方が、なにがしかの傷を負い、何かを失ったはずだ。
 人間は、土地や家庭や仕事や様々な関係に縛られて生きている。人はそれを時に煩わしくも思うものだが、しかし、縛られている、ということは、そこに「必要とされる自分」が在るということであり、だからこそ、人はいろいろな不自由な思いをしながらも、そこで生きていこうとする。

 人知や科学を軽々と超えて見せた圧倒的な地球の力により、自分をそこに縛り付ける「理由」が根こそぎ奪われてしまった人達は、埋めがたい喪失感に陥り、今、そうした人々への心のケアが始まっている。
 何万人の人が、生まれ育った土地を離れ、「疎開」をすることになるのかは未だ判然としない。
 しかし、こんなときだからこそ、隣人である私たち、秋田が、そんな人達の新しい「生きる理由」になってあげられないだろうか、と思う。

 人は生きることに「理由」を必要とする、とても弱い生き物だと私は思う。
 被災した人たちを、両手で、温かく抱きしめ、「ここにいていいのだ、いつまででもいてくれていいのだ。空き家でよければ住む場所はある。米で良ければ食べ物はある。仕事はそのうちゆっくり探せばいいじゃないか。」とただただ迎えてあげられないだろうか。新しい縁や新しいふるさとになってあげられないだろうか。
 そして、いつの日か、その人たちがまたふるさとに帰れる日が来たとき、その人たちにとっては秋田がもう1つのふるさとになるはず。

 そういう懐の深い、包容力のある秋田でありたい。
 電気も戻ってきた、ガソリンも戻ってきた、暮らしも戻ってきた。秋田の企業活動や経済にも大きなダメージがあり、それを取り戻すのはこれからだが、私たち自身も1日も早く元気を取り戻して、そして、隣人たちを
元気な秋田で迎えてあげたい。それがきっと被災者の方々の傷を癒す道にもなるだろうから。
 

被災地にて

2011年03月18日

 昨日の早朝、秋田を出発。二トントラックほか数台の大型バンに、1万本のきりたんぽと2千食の横手やきそば、その他、たくさんの方々からご提供いただいた衣類、オムツ、毛布、生活用品、そして、14人のスタッフを乗せ出発。
 一組は、大船渡市へ。もう一組は、東松島市・石巻市へ。
 被災地支援ということがもちろん第一の目的だったが、「想定外」だらけの今回の震災だからこそ、現場で何が起きているのか、何ができるのか、その一端を知ることが、秋田に暮らす我々の備えにも繋がるはず、との思いもあった。

 到着後、10時間以上炊き出しを続け、きりたんぽ・焼きそば合わせて1万食近くの食事を提供できたが、電気・ガス・水道・ガソリン・道路・物流、あらゆるライフラインが寸断された中で、1700人もの方が小学校での避難生活を余儀なくされている現実の前には「焼け石に水」、「スズメの涙」であったのかもしれない。
 それでも、一日一食という「生存」そのものさえ難しくなるような状況下での温かい食事に、涙を流して喜んでくれた人や、秋田名物うめえなと褒めてくれた人、自衛隊より早く支援に来てくれたと言ってくれた人、家族を失いながらも私たちにねぎらいの言葉をかけてくれる人、震災から立ち直ったら今度秋田に行くぞと力強い言葉をくれた人が大勢いた。

 政府や自治体は「一時避難」から「県外への移動・疎開」も視野に入れ、動き始めた。実際、被災地から多くの方が県外へ「脱出」されている。
 2000箇所を超える避難所、40万人を超える避難者、原発も含めた複合震災という状況では、自衛隊や警察、地元自治体や消防団などが総力を挙げたとしても、被災者支援・被災地復興は容易ではない。
 しかし、未曾有の大震災に遭いながら生き延びてくれた40数万の仲間たちが、避難生活の中で、人としての最低水準の生活さえできないままに、そのために命を失うというようなことだけは何とかして避けなければならない。
 あの1700人の方々は、今夜も暗闇の中で、寒さと悲しみと不安に耐えて8度目の夜を過ごしている。「人間の理性」としても少しずつ限界が近づいてきているように思う。
 長距離バス、新幹線、様々な交通インフラが少しずつではあるが回復してきた。今は個人が個人の判断によって、親族や知人・友人を被災地に救いに行っているが、これからは早急に「集団疎開」を進めていく必要があるのではないか。
 話は変わるが、もし秋田でこれと同じ震災が起きたら・・・現場からそれを考えたとき、私は今の地域防災のあり方を見直す必要があると思う。県や市の防災計画を丹念に見ていくと、何が足りないか、何ををどうすべきか見えてきた。具体的な提言を近いうちに行いたい。
 余談だが、全員協議会などといまさら会議を開いて、役所に注文や要望をしているだけの県議会もあるようだ。こんなときこそ、パフォーマンスと言われても良いから、県議会としての何らかの行動を明確かつ迅速にしてもらえたら、とも思うのだが・・・
 最後に、今回の被災地支援で、大変多くの方々にご支援をいただきました。この場を借りて心から感謝申し上げるとともに、被災地支援はまだまだ続けていくつもりですので、どうか1人でも多くの方々からお力添えをいただければと思います。
 

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職し、秋田市長選挙に挑戦。
令和5年4月
政治家として再始動を決意。
現在
秋田市横森在住。

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