秋田の夏は短い。
隣の青森ではねぶた祭りが終わればもう夏は終わりだ、と言われるほどだし、事実、8月半ばともなると街を吹き抜ける海風の中に秋めいた空気を感じるほどだが、秋田の夏もそれほどではないにしろ、短い。
四季は、暮らしを規定し、行動様式やマインドをある意味では支配する。
土地に縛られない、地域を固定しない生き方を選んだ人はさておき、大方の、「どこか」で生きることを選んだ人たちにとっては、その「どこか」の四季や、風や、匂いや、土が、その人の暮らしを良くも悪くも決めていく。
その短い夏にかぶりつくように県内各地で様々な行事、祭りが開催されている。
竿燈祭りをはじめ、大きな祭りはこれから、というものも多々あるが、秋田市内では今週末、「なかいち」がオープンした。
週末ともなれば満員御礼でごった返す、郊外のショッピングセンターが移転してきのかと思うほどの人混みであったが、おそらくは、大半が秋田市民の皆さまであったのではないかと思う。
駅伝など様々なオープニングイベントがあったが、私がその中で参加したのはたった1つ、美術館の設計者、安藤忠雄氏の講演会であった。
安藤氏が、この美術館にどんな想いで向き合ったのか、紆余曲折ありながらも誕生したこの美術館とともに生きていくことになった私たち秋田県民が、「秋田」を既定する新たな1つとなったこの美術館がどんな想いから誕生したのかを知ることはとても意味があることだと思ったからだ。
講演の冒頭、安藤氏はハッキリとこうおっしゃった。
「自分は古いものを大事にするべきだと思っている。だから現美術館を活用してはどうかと申し上げた。しかし、耐震などの問題もあり、移転する、とこういうことであった。」と。
100年未満の建築物に文化的価値はない、と言い放って、今の美術館の価値を認めなかった佐竹知事とは真逆である。
その上で、
「美術館を設計したのは私だが、美術館を育てるのは県民の皆さん。どうか、育てていってほしい。」ともおっしゃった。
街や地域が人を育てる、とは昔からの言葉だが、今はその逆で、人が街を育てる時代になった。
そこにしかいない一人ひとりが、そこにしかない街を1つ1つ育てていく、という時代。
その意味で、地方の行政や政治が担う役割は、「まちづくり」ではなく、まちづくる「人」づくり、だろう。
私自身の職業的観点としては、このエリアが、文化的「地産地消」の核となっていくのか、「地産外消」の観光拠点となっていくのか、これからの「なかいち」は、そのビジョンを明確に持たなくてはいけないと感じた週末であったし、「点」を「面」にする努力は、「点」を作る以上に長く大変なものになる、とある種の重い覚悟を持った時間でもあった。
盛り上がってるからいいね、人がいっぱい来ていていいね、と素直に喜べない、のではないく、敢えて「喜ばない」精神で、この県都秋田市の新たな「点」について、責任を果たしていきたい。