今日、県議会において、初めての「子ども議会」が開催された。
傍聴席から、その様子を見守った。
傍聴席はパイプ椅子を並べ席を増やしたものの、立ち見が出るほどの満員御礼ぶり。
いつもは私たちオトナ議員が座っている議場のその席に、子どもたちが座っている。
私の席、「一番」にも小柄な少年が座った。
自分が小学生の頃、あそこに座る機会があったなら、どんな風に感じただろう。
そして、今、その少年は何を感じているだろう。
少年の人生の1ページ、ひと夏の記憶として彼の中に留まっていくのか、いつの間にか忘れ去られてしまうのか。
小学校の頃、小柄だった私は、いつのまにか少年に自分を重ね合わせていた。
本会議の始まりを告げるベル。
いくつかのグループに分かれ、様々な県政課題について、壇上から、真剣な眼差しで演説をする彼らのその眼差しが見据えているのは、「未来」そのもののようにも私には感じた。
いつもセピア色で、いつも重たい空気の議場。
私は自分が演説するときもそうでないときも、議場に入る時にはなぜかいつも少し憂鬱な気分になるのだが、今日はなんだかとても眩しく見えた。
同じ照明、同じ広さ、同じ演壇のはずなのに。
彼らがシンプルに、そして、堂々と語った様々なことについて、敢えてここではくどくどと説明はしたくない。
しかし、20年後、もし、「あの時、登壇したことを今でも覚えてるんだ」と言いながら、本当に議員バッジを付けて登壇する人が現れたなら、どんなに素晴らしいだろうか。
そんなことを想っていたら、なんだかこみ上げるものがあり、自分が当選したときでさえ流れなかった涙が少しだけ出た。
今日のこの子どもたちが、20年後に自分の意志で何かに踏み出し、何かを決める力を持つときまでに、この秋田を、この日本を、しっかりと繋いで、紡いで、残してあげなくてはいけない。
20年後に残す「未来」が、どん詰まりの、荒廃したふるさとであっては決してならない。
そのためには、できることすべて、想定しうることすべてに取り組んで、対処していかなくてはいけない。
オトナに課せられた責任は重い。
彼らの20年後、彼らが生きる未来を前にしたとき、陳腐な政局争いや、目先の利害などは消し飛んでしまう。
今の政治家たちが、未来の政治家に負けない政治をする。
そして、未来の政治家が、やがて今の私の場所に立ったとき、「昔の政治家」となった私が何かの道しるべとなっていられるような、そんな「政治のバトン」を渡していきたい。
それが私の政治家としての、唯一無二の矜持と言えるものかもしれない。
次の世代のため、次の日本のために、今を越えていこうと思う。
心ふるえる時間を子どもたちにもらいました。
本当にありがとう。