生活保護の減額が具体的になってきた。
自分自身の人生を振り返っても、このことについて言及するのはいささか気が重くはあるのだが、少し気になっていることを述べたい。
今回、いわゆる「低所得者世帯」と「生活保護世帯」の所得の逆転現象があるという指摘を受けて、厚生労働省が検証した結果、子どもを持つ世帯を中心にして、その現象が顕著であるというような結果が出された。
よって、支給額の多い分を減額する、という論理になるようだ。
しかし、私が一番懸念するのは、「負の連鎖」である。
そもそも、この比較は、全世帯のうち、収入が最も低い層、年収ベース約120万という層において行っている。
率直に言えば、子どもが二人いる4人世帯の場合、それは生活保護を受給していようとしていなかろうと、年収120万ではまさに日々の生活に手いっぱいで子どもの教育面などに対してはなかなか満足なことをしれやれないのではないかということだ。
「より低いほうに合わせる」という手法で憲法が保障する「最低生活水準」が見直されていくことで、低所得者世帯と生活保護世帯の不公平そのものは是正されるのかもしれないが、「家庭の所得格差と子どもの教育格差」の問題はむしろ拡大するのではないかと私は懸念している。
不正受給をする親がいる。
働かない親がいる。
そのことは厳然とした事実として対処・対応をしていかなくてはいけない。
しかし、そのことと、「子どもの教育」は別問題だ。
私はアベノミクスによって、仮にインフレ政策が実施されていけば、都市と地方の経済格差、高所得者層と低所得者層の所得格差は拡大すると思っている。
今回の生活保護減額は、低所得者層の所得を引き上げる効果を持つものではなく、低所得者層の所得をより引き下げる効果を持つだろう。
そのことの是非を置いても、せめて、どの地域の、どの世帯の子どもでも、教育だけは十分に受けさせてやりたいものだと思う。
今日、この秋田の地で江戸時代から連綿と続けられてきた「感恩講」の新たな学び舎の竣工祝賀会にお邪魔をさせていただいた。
「恵まれない」という表現はあまり言い方ではないのかもしれないが、こうした子どもたちを救済していこうという民間発の事業が平成の今日まで続いていることは、秋田の誇りであるし、こうした「生活保護減額」といった殺伐としたニュースが巷にあふれる中で、日本人が失いつつあるとても大事なものにふれさせていただいた気がした。