大晦日だ。
昔よく、毎年恒例の歌番組を観ながら、母がこう言った。
「これ、歌なもんだが?おめ、これ、ほんとにいい歌だな、と思って聴いてるんだが?」
母からすれば理解不能な、およそ雑音か騒音にしか聴こえないロックバンドの演奏が流れてくるときの決まり文句であった。
それから20年以上経って、今、自分が同じような感想を持ちながら大晦日の歌番組を眺めているのに気付くと、妙に感慨深いものがあるが、これが時代というものなのだろう。
時は流れる。
一瞬としてとどまることはないし、大金持ちからも大統領からもマンホールチルドレンからも等しく時間を奪っていく。
よく政治の役割は何か、と考えてきた。
政治家はそれぞれのステージにおいて、日本の、秋田の、あるいは地域の10年後、20年後のビジョンを語り、未来を手繰り寄せようとする。
しかし、実際には、様々な分野における技術革新と、その結果もたらされる文化や社会や暮らしの変化のスピードは、政治が想定する射程や対応するスピードを軽々と超えて、政治を置き去りにしていこうとする。
今後、インターネット選挙が解禁されることになるとしても、それはインターネットという技術が世に普及してから一体何年の月日が経ってからのことか、その一事を持ってしても政治が社会を後追いしていることの十分な証左になるだろう。
政治が、国民を導き、社会を創る力は一昔前に比べて遥かに弱くなったろう。
それは、政治の劣化ではなく、技術の進歩や価値の拡散などによる「政治という領域の必然的な縮小」だと思う。
しかし、それでも、「政治なき国家」は存在しない。
政治に人を幸せにする力がまだあることを信じ、2012年を終え、2013年に向かいたい。
この仕事になってから日付や曜日の感覚がかなり薄くなったし、盆正月などもあまり関係なくなった。
今回も、大晦日と元旦の二日ぐらいは休めるかな、という程度だ。
とは言いつつも、年末らしく今年1年を振り返ってみようと思う。
よく、今年1年を一文字で表すと、というようなことをテレビなどで見かけるが、私は「選」としたい。
今年は世界的に見ても、各国のリーダーを選ぶ選挙などが多数重なった珍しい年であった。
アメリカ、ロシア、中国、フランス、韓国、そして日本など、世界を牽引する主要国において、国民の選択が示され、再選した者、新たなリーダーとなった者、再び登板することになった者など様々であった。
政治の世界から離れて見渡しても、ロンドンオリンピックでの「選ばれし」方々の活躍、ノーベル賞に「選ばれた」山中教授の真摯な姿勢など、印象深いことが多々あった。
私自身のことを振り返っても、この1年は本当に悩ましいことが多い1年であった。
春先から、強弱の差こそあれ「解散風」が吹き続ける中で、いろいろな取捨選択を迫られたし、県議会においても、国政における政党間の政策対立の構図が県議会にも持ち込まれた結果、賛否を鮮明にし、時に他会派と激しい論戦を繰り広げることにもなった。
全体として、こうした「選挙」や「選択」ということの厳しさ、難しさを感じ続けた1年ではあったが、その一方で、人間的に、あるいは議員として、ずいぶん鍛えられたようにも思う。
議会においては、一般質問、総括審査、本会議場での討論など、様々な場があるが、議員1年目の昨年よりも今年のほうが、悩み苦しんだ分、逆にクオリティは多少なりとも上がったのではないかと勝手に思っている。
議会の外においても、単に議員としてではなく、一人の人間として貴重な出会いを昨年以上にいただいた。
とはいえ、反省すべき点も多々あった。
一言で言えば、「人間的に赤字」だったと痛感している。
私は、議員として、人間として、研鑽を積んで蓄積をし、その身の内に溜め込んで熟成させたものから生み出される「政策」や「想い」こそが本物だと思っている。
その点において、今年は研鑽や蓄積よりも、放出するほうにかなりのエネルギーと時間を使うことになってしまい、人間的出入りでいけば、マイナス、つまり「赤字」であったなあ、と振り返って反省している。
来年こそは、人間的な黒字にしたいし、為すべきこと、為すと決めたことにしっかりと手をかけていきたいと思う。
今年も残り2日。
今年最後に為すべきこと、はやはりいつの時代も変わらぬ「大掃除」だろうか。
民主党の新代表が決まった。
今、報道や世間の注目は、安倍内閣や自民党役員人事などに集中している。
それでいいと思う。
新代表、そして、野党民主党には、つまらぬパフォーマンスや人気取りや、個々の議員の自己顕示などは不要だ。
すぐに水面の上に顔を出そうとして、顎を上げて手足をばたつかせるような姿は国民の皆さんに見せてはならない。
鍛え直し、政策を練り、自民党政権の行き過ぎた政策には毅然として対峙をする、そういうひたむきな姿を見ていただくことでしか、国民の皆さんの信頼が再び民主党に戻ることはないだろう。
新代表が誰になるか、ではなく、民主党が何をやるか、それを国民の皆さんは見ている。
海江田代表が、覚悟を持った政策集団、筋肉質な集団に生まれ変わるための道筋をしっかりと示し、それを所属議員が共有して進んでいくことを切に望む。