いよいよ、大阪で府知事と市長のダブル選挙が始まろうとしている。
未だかつてない、任期途中で知事をやめて市長選に出るという橋下元府知事の行為に賛否両論が分かれるのは当然のことだろう。
テレビなどでも、元総務大臣であった方をはじめ、政治や行政に身を置いた経験のある方ほど、この行為に対する抵抗感、拒否反応が強いようだ。
確かに、実態定かならぬ「大阪都」なるもののために、議会にも「維新の会」を誕生させ、さらには、今の地方分権の流れである、「国から県、県から市町村」といった流れをむしろ、「大阪市を大阪府に吸収・統合」するかのような考えは、一般的ではない。
私もこの仕事に就き、「首長と議会の関係」がどうあるべきか、ということを考えされられる機会が多くなったが、仮想の話として、佐竹知事が「秋田市との二重行政を解消するのだ」といって、「秋田都」構想などを掲げて、それに賛同する人間を集めて、県議会に送り込むのだ、ということになったなら、確かに「首長による議会の私物化」だと騒いでしまうだろう。
幸い、本県の知事は、そうしたパフォーマンスは好まれないので、「機能合体」という思想で、県と市町村の仕事の「重なっている部分」を1つ1つ、部分的に合体し、一緒にやっていきましょう、ということで進められているので、その点は心配ないようだ。
しかし、この橋下さんのやり方や思想は、なんといっても、「わかりやすい」
わかりやすいから、政治関係者や行政関係者がどんなに反論しようと、有権者からは逆に支持されるということになってしまう。
皮肉なことに、関係者が首をかしげるほどに、有権者が深くうなずく、というような傾向にあることは確かだ。
結局、そんなことが起きてしまう理由は、政治というものが複雑で、多くの意見や利害を調整しているうちに、一般の方からは大変解りづらくなってしまうという宿命を持っているからなのだろう。
私は橋下さんがやろうとしていることは、文字通り「日本の統治機構の仕組み」を地方から変えようとすることそのものなのだと思っている。
しかし、その思想は難しい。
国と地方の関係、選挙という仕組み、国会というもの、首長と議会の関係など、政治の「舞台装置」が悪ければ、どんなに能力を持った政治家でも力を発揮できない、という趣旨のことを橋下さんはおっしゃった。
舞台装置そのものを変えたい、壊したい、というのは、橋下さんの偽らざる気持ちだと私は勝手に推測しているし、その気持ちを、万民に伝わりやすい「大阪都」という姿を通して訴えようとしているのだと思う。
政治はわかりやすければ、簡単であればいいとは私自身も思わない。
しかし、「舞台装置の改革」という困難なことに取り組む、その一歩として、ステップとして「大阪都」という思想があるなら、それはそのやり方、手法も含めて「邪道」とは思わない。
任期半ばでの辞任となった橋下さんであるが、府知事になって取り組んだことの1つに「オープン府庁」というものがある。
府庁内で予算が決まっていく、その予算編成の過程そのものを府民に公開した。
大阪には参考になる取組や事例が多々ありそうだ。
調査・研究して、本県の政策に反映させていきたいと思う。
民主党が政権交代時に掲げた「地域主権」という思想。
地方に権限を分け与える、のではなく、地方(地域)にはそもそも最初から権限があるのだ、という考えは私は大変評価している。
停滞感があるこの地域主権、「大阪都」といった解りやすさも派手さもないが、実は私たち市民の暮らしを変える力を十分に持っている政策だ。
野田政権下で、1つ1つ、成果が出ることを地方自治に身を置き続けている人間として切に願うものであるし、私の立場からも国に対して様々な提言をしていきたいと思っている。
今日、東京で「地方議員の定数、報酬について」の勉強会に参加してきました。
余談ですが、これに関する往復の交通費は政務調査費です。
政務調査費を何に使っているのか、ということの一例で御紹介をさせていただきました。
さて。
我が民主党会派や、議員報酬を引き下げるべきだ、という立場で選挙を戦い、議員報酬の引き下げに関する条例案なども提案させていただきました。
しかし、議員定数については、選挙の時にも明確に有権者の皆さまにお約束をしませんでしたし、当選後も、議員定数について、議会運営委員会など公の場で言及したことは一度もありません。
なぜか。
減らす、と真っ先に言い出しそうな民主党会派がこのことについて何も言わないことを不思議に思っていらっしゃる方もおられるかもしれません。
現時点での私自身の考えをここでお伝えしたいと思います。
私は、政治の道はもっともっとたくさんの人に開かれなければいけないと思っています。
十分開かれているだろう、政治家になりたいと思えば、誰しも一定の年齢に達すれば立候補はできるだろう、とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、いくら志と能力があっても、地盤も看板もない、「土台」がない人間が当選するのは現実的にはかなり難しいのが事実です。
そういうハードルを取り払うためには、「選挙」という仕組みを変えることや、「投票」という行動のための環境づくりも重要ですが、一方では、そうした人間が実際に政治に参加できるための「土俵の広さ」も必要だと思っています。
今の県議会議員の定数は45人です。
そのうち、秋田市選挙区では、13人が選ばれますが、他の選挙区では、2〜3人とか、さらには1人だけ、というところもあります。
この定数を、もし半分、つまり25人にしたらどうなるでしょうか。
秋田市は半分程度になるでしょうが、他の選挙区でも当選者数が絞られ、1人か、多くて2人ということになるでしょう。
そのとき、今の選挙制度、今の投票行動の中で起きるのは、敢えて極論を言えば、「現職」か「有名人」か「金持ち」か「社長」ということにならないでしょうか。
議員の数を半分に減らすことが、集票力のない若者や、志のある人間のチャンスを減らすことにならないか、そのことを私はとても懸念しているのです。
議員報酬も行き過ぎたカットをする、あるいはボランティアでいいじゃないか、ということになれば、やはり同じ問題が起きると思いますが、定数を劇的に減らすことも、議会を「住民代表」ではなく「業界代表」の集まりにしてしまうのではないかという懸念でもあります。
そもそも、報酬と定数をバラバラに議論することもナンセンスな話で、さらにいえば、議会の運営にかかっている「議会費」も含めて考えないといけないと思っています。
もし、私が県議会の最大会派の会長、あるいは県議会議長であったなら、1年かけてでもいいので、全県を移動して、「移動県議会」を開催して、住民との対話集会を開催することを提案し、実行に移すでしょう。
そのテーマはずばり、県議会議員の「定数と報酬と仕事」について。
私たち議員は県民の皆さまのの期待や負託に応えるのがその仕事。
裏を返せば、県民の皆さまが私たち議員にどういう仕事をしてほしいか、あるいは、こういうことはムダだからやめてほしい、というような、「求められる姿」と「それに必要な報酬や定数」について全県で徹底的に議論してまわります。
県議会としてそうした「耳の痛い話」を、住民との直接対話をしないままでは、議員の報酬も定数も削減すべし、という声は止まることはないでしょう。
議員報酬も時限的にカットするということをずっと続けていますが、そろそろ、本筋、本質論をやって、この数とカネの問題に決着をつけたほうがいい、そう思いませんか?皆さま。
さて、東京から日帰りで戻ってきて、政府の三次補正予算の内容に目を通しています。
いくつか気になる予算、秋田が「獲りにいくべき」予算もありそうに見えます。
そのへんを敏感に察知していらっしゃる県職員の方もおられるようですので、県としても組織的に動き出すかもしれません。
私も国政と県政を繋ぐ一役を担えるよう努めます。
今日の地元新聞一面にこのような記事が。
「復興支援策の対象に秋田県を。」
政府が今考えているのは、岩手、宮城、福島など10県221市町村を対象として、その対象地域の中から「特区」を申請してもらう、そして、その申請に基づき、国が特区認定をする。認定をされた地域に対は、様々な規制緩和や財政支援、税制優遇などが受けられるというものだ。
つまり、今の政府の構想の中には、秋田県も山形県も入っておらず、特区申請をする資格がない。
そういう法案が次期国会に提出される予定となっている。
これでは困る。
と、山形県は考えたのだろう。
そこで、秋田県に呼びかけ、「国に対して、我々にも何か財政支援をしてくれ、秋田も山形も直接の被災地ではないが、いろいろな影響を受けていることは事実なのだから、そういう支援があってもいいじゃないか。」ということを国に要望した、ということだ。
さて。
ここまで読むと、なんとなく、そうだ、そうだ、そのとおりだ、国にしっかり求めていけ、ということになるのだが、ここに至るまでの経緯を振り返ると、今回の要望には正直、落胆したというのが私自身の率直な感想だ。
復興特区、という考えが出されたのは、政府が設置した「復興構想会議」の場で、宮城の村井知事が「東日本復興特区」を提唱したところあたりから始まっている。
その後、復興構想会議で、これに具体的に肉付けしていくという作業が繰り返されてきた。
そういう中で、7月に秋田県で全国知事会が開催された。
佐竹知事は開催県の知事として冒頭であいさつし、「大震災への政府の対応は、現場感覚がない、臨場感がない、とないない尽くし。」と政府を批判し、その上で、「日本の大きな岐路に我々がどう動くかで国の形が変わってくる」と述べた。
さらに、復興特区に関しては、「最初に規制があって、それを特別に緩和する、というような従来型の特区ではなく、そもそも、原則規制なし、というゼロベースから出発して、本当に必要な部分だけ限定的に規制するという、発想の逆転が必要だ」というような趣旨の発言をされた。
私はその発言を聞いた時、「思い切ったな」と驚くとともに、「お手並み拝見」とも思った。
私は県職員時代、こうした特区、あるいは規制緩和、地方分権といったことに関する仕事をしていたが、国のあらゆる規制をいったんゼロにして、基本的に地方で全部考えて、やりますから、などというのがどれだけ「夢物語」かを痛感している。
国の規制を1つ取り払うだけでもすさまじい労力と攻防がある。
それを、いったん全部とっぱらう、ということを言うのだから、これを政府に求めるとすれば、ただ「言葉だけ」ではなく、地方から相当の覚悟や労力を持って、突き上げて、提案していかなくてはいけないだろうと思った。
まさに、「我々(地方)が動いて、国の形を変える」という気概でやらなければならない。
しかし、その7月の知事会以降、秋田県は、その「原則自由・最低限の規制」という特区の姿について、具体的なものを国に提案してはこなかった。
何が地方でできて、何が「最低限、国の規制が必要なのか」といった仕分けもしなかったのだから、提案できようはずもない。
私はその点について、先の9月議会の総括質疑で佐竹知事に問いただしたかったのだが、例の国際教養大学の予算の関係で、時間切れとなり、この特区構想について議論をすることができなかった。
そういう背景の中で、今日の新聞を読むと、なんとも情けない気持ちになるのだ。
4月から復興特区の議論は進んでいて、7月には佐竹知事自らアドバルーンを知事会議の場で上げた。
しかし、そこから一向に本県において議論も動きもないまま、ついに今まさに法案が出るというタイミングになってから、「俺たちも被災地の仲間に入れてくれよ」と言いだしたわけだ。
佐竹知事自身が批判し、否定したはずの、「従来型の特区」の仲間に入れてくれ、と。
しかも、それは山形県から持ちかけられた話だという。
がれきや焼却灰の受け入れに関する要望書はどんどん出すのに、政府の復興支援を受けるための要望書は人に言われて今になって出す。
どうも順番が違うような気がしてならない。
直接の被災地でない秋田が、政府の復興支援を受けようと思えば、間接的な影響も含めて、相当なデータを集め、かつ、政府に対して早い段階から、粘り強く、プレゼンテーションをしてこなければいけなかったはず。
それをせず、いろいろな復興支援のスキームが固まってしまってから、「よっこらしょ」と腰を上げて、輪の中に入れてくれ、と言いだすのは、遅きに失したのではないか。
どう動いても結果は変わらなかったかもしれない。
しかし、その結果を導き出すためのアクションや戦略、ネゴシエーションが、遅く、鈍かったのではないか。
佐竹知事には、大見えを切って、否定した「従来の特区」ならば、いっそ、今回も、「そんな特区じゃ意味がない、乗らない」というぐらい言ってもらいたかった。
今更、ではないか。