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選挙が第一。

2012年07月11日

 「反増税」は政策ではない。

 増税も反増税も政策ではなく手段だ。
 増税をして何をするか、増税せずに何ができるか、それこそが「政策」だ。

 反増税を唱えて発足した新党、小沢党首が第一に掲げた政策が「被災地の復興」であった。

 ちゃんちゃらおかしい、のである。

 政府与党の一員として、それができたはずの彼らが、「あれもいや、これもいや」と駄々をこねたあげくに責任を放棄し、国会を混乱させ、今更「被災地の復興」ではないだろう。
 本当にそれを思うなら、自らの「駄々」を横に置き、まさにご自身の選挙区である岩手県に頻繁に足を運び、ふるさとのために歯ぎしりしてでも身を粉にして働くべきであり、東京にいて、選挙だ、政局だ、新党だと言っている場合ではないだろうに。
 秋田においても、被災地以上に観光業は落ち込んでいるし、リーマンショック時を超える不況に喘いでいる。そんな中で、県民の皆さまのご理解によって震災がれきの処理が始まっている。
 本県においても、離党された2名の方々は、そうしたふるさと秋田の再興のために、今こそ政府与党の一員として汗をかくべきであったのではないのか。

 与党にとどまり被災地やふるさとの復興に尽力するよりも、野党になってでも反増税という立場に固執したい、ということでしかない。

 そもそも、この新党は私から言わせれば、現在様々な政党がある中で、最も「無責任な政党」だと私は思っている。
 自民党は、民主党と真っ向から戦い、敗れ、今、野党の立場にいるが、それでも民主党と真摯に向き合っているではないか。
 公明党、みんなの党、社民党・・・・様々に立場や政策は違うが、選挙の洗礼を経て、堂々と野党としてやっておられるではないか。

 しかし、今回の新党は、民主党の看板で当選した比例区の方々が、政権交代後の民主党の中で、民主党の一員として尽力すべき責任を果たさず、選挙の洗礼も経ないまま、全く別の党を作って、民主党に敵対される。

 無責任な方々が集まった無責任政党そのものではないか。

 「国民の生活が第一」ではなく「自分の選挙が第一」と党名を変えられるべきだろう。
 評価にさえ値しない漂流政党が1つ誕生した、という意味では、今日は歴史的な日かもしれない。

議員定数。

2012年07月10日

 今日は短く、事実のみを記そうと思う。

 先日、県議会の議員報酬・定数に関する各会派の協議会が開催された。

 内容は、議員報酬と定数をそれぞれ見直すべきかどうか、について各会派の意見を持ち寄るということであった。

 いくら、とか、何人、といった具体の数字の前にまず、見直すべきかどうか、という入り口のところである。

 なお、「見直し」という表現が使われているが、事実上、見直して増やす、ということはあり得ないので、見直し、とはすなわち「削減する」ということだと私自身は理解しているし、県民の皆様にもそうご理解いただいて構わないと思う。

 報酬・定数両方についていっぺんに書くのはやや長くなるため、今日は定数について書いていこうと思う。

 まず、現在の県議会の議員定数は45人。

 この定数は、少し前までは地方自治法という法律によって、人口の規模によって議員の上限数が定められていた。

 昨年度、この地方自治法が改正され、この「上限」が撤廃された。

 よって、現在、地方議会の議員数は上限も下限もなくなり、各地方自治体ごとに定数を決められるようになっている。

 ただし、地方議会を置くことは法律で義務づけられているため、「定数ゼロ」つまり、議会を廃止する、ということはできない。

 そういう背景の中で、定数をどうするか、ということであり、人口106万の秋田県において、何人が妥当か、ということを決めるのは、決め方も含めて大変難しい作業であることは確かだ。

 先日の協議会、民主党会派としては、人口同規模の他県と比較しても、本県の議員定数は多いと考えているため、「削減すべき」と述べさせていただいた。

 他の会派では、

 「削減すべき」と回答されたのは、「新みらい、いぶき、県民の声、公明党」であった。

 「削減すべきではない」と回答されたのは、「社民党、共産党」であった。

 「保留。簡単に決められないので引き続き議論を。」と回答されたのが「自民党」であった。

 新聞報道では、「意見がまとまらず」とだけ記載されたが、単に結果だけではなく議論の経過も公開すべきであるという立場の私としては、この場で、それぞれの会派の現時点での考えを書かせていただいた。

 今後、定数に関しても報酬に関してもいろいろな議論が出てくると思うが、極力、私情や主観を挟まずに、その内容を明らかにしていこうと思っている。
それについて、県民の皆様がどう思うか、何を考えるか、次の選挙でどのような選択をされるか、は県民の皆様に委ねたいと思う。

 

責任。

2012年07月08日

 今日、民主党県連の常任幹事会が開催された。
 私は所用があり、出席できなかったが、本県でも2名の離党者が出たことによる組織内の人事や、今後の選挙対応などについての話し合いがあった。

 結果、民主党として空白区となる秋田3区について、候補者を擁立していくという方針が確認されたようだ。

 私自身、先週の離党騒ぎの最中に受けた取材において、「当然、民主党として3区に候補者を擁立し、選挙戦を戦うべきだ。」とお答えしたし、当然の帰結であると思う。

 よく、政権与党として、様々なことについて「責任」ということが言われる。
 私は政権与党の責任というのは、政権を担っている、選挙の結果を受けて国民の皆さまの負託をいただいているその期間、その政権運営のみに存在するのではなく、その運営結果についての審判を受けるところ、そこまでが「責任」の範囲であると思っている。

 つまり、政権与党として、できたこと、できなかったこと、様々あっても、その結果について、説明をし、あるいはそれに対するご意見やご批判もいただきながら、対話をし、訴えていくということが政権を預かった立場における最低限の責務であるということだ。

 仮に、解散総選挙となったときに秋田3区で民主党の候補者がいなければ、有権者の皆さまは、民主党に対する批判すらできないという結果になってしまう。
 この3年間の成果・結果を説明する人間もいない、批判や賛同を受け止めるべき人間もいない、という選挙を政権与党はやるべきではない。

 そういう思いを私は持っている。

 秋田1区、2区、3区、堂々と戦っていきたい。
 私自身、何の力もないが、3.11直後のあの重苦しい空気を掻き分けるようにして民主党公認候補として選挙戦を戦った人間として、やれることを全力でやっていきたい。

 

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沼谷 純はこんな人!

昭和48年3月
秋田市生まれ。仁井田育ち。
平成7年4月
秋田県庁入庁、企画調整課配属。
平成22年12月
政治を志し、秋田県庁を脱藩!
(退職)
平成23年4月
秋田県議会議員に初当選。
現在3期目。
令和3年2月
秋田県議会議員を辞職し、秋田市長選挙に挑戦。
令和5年4月
政治家として再始動を決意。
現在
秋田市横森在住。

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