つくづくと、この政党の頭の中には「選挙をやること」、「権力の座に再び戻ること」の2点しかないのだなと痛感させられた。
自ら提案した「0増5減」の選挙制度改革関連法案について、委員会で説明もせず欠席。
提案した人間がその内容を説明もせず、放置したというのだから呆れる。
さらには、「三党合意」や「増税反対」を理由とした問責決議案にも賛成したというのだから、その変節ぶり、変節の速度たるや、もはや、政党というより単なる「選挙集団」と言わざるを得ない。
自分がしたことを、自分で批判する。
今、民主党があれこれ批判されているし、そのことは甘んじて受けるべきものも多々あるが、自民党のこの振る舞いの無節操ぶりは、我が民主党も負ける。
公明党はこの問責決議案の採決を棄権した。
至極まっとうな判断だろう。
どこの世界に自分でやったことを自分で「問責」する政党があろうか。
今、巷では、総選挙をやれば自民党が再び第一党になるだろうとも言われている。
どういう結果になろうともそれはそれとして国民の皆さまの審判であるが、50年以上、日本の政治のかじ取りを続け、山積する課題をどん詰まりまで放置し、そして今、再び、自分自身を問責してまで、1日も早く選挙をやりたい、というのが自民党の真実の姿である。
毎月、高額な議員歳費をもらいながら、審議拒否と称して、事実上のストライキに入った野党の皆さん。
そのサボタージュは、民主党政権に向けられているのではない。
国民に向けられているのだということはお忘れなく。
野党のサボタージュの結果、政府は赤字国債が発行できない状態が続く。
既に、地方自治体の生命線とも言える地方交付税の支払い延期など、国民生活、住民自治に影響が出る可能性が見えてきている。
国民の皆さまを「人質」にして、選挙を迫る。
これではいったい、誰のための選挙なのか。
自民党の自民党による自民党のための選挙、ということか。
ほかのことはさておいても、国民を人質に取るような自民党のやり方だけは、地方議員として許し難い。
八幡平クマ牧場で県が飼育している27頭のクマ。
やや忘れさられている感があるが、これらのクマは未だ個人の所有動物、いわゆる「ペット」である。
クマ牧場としての営業そのものは廃業したが、所有権は飼育者である個人にある。
しかし、その個人が事実上、飼育能力がないということで、現在、県が非常勤職員を雇用し、県費を投入して、27頭の飼育に当たっているという状態が続いている。
引き受け先をいつまで探すのか、いつまで県費を投入するのか、といった議論が6月議会でもあったし、私としては、所有者と県との間の、費用負担や責任の所在、県が負担した費用の請求などを明確にすべきではないか、というような話もさせていただいたところだ。
昨日の佐竹知事の定例記者会見において、27頭のクマを、阿仁のクマ牧場で全島受け入れるとの方針が北秋田市長から示されたこと、そして県がそれを了承し、そのための阿仁クマ牧場の改修などに支援するというような話があった。
佐竹知事は、この27頭のクマについて何度も「県政課題」という言葉を使い、そして、このクマを北秋田市の「観光資源」として活用するという観点から、来年冬までにクマたちが阿仁に引っ越しできるよう、施設改修や飼育をしていくというような説明であった。
本来の所有者、飼育者の意向や責任が置き去りにされたまま、クマが県政課題や観光資源に「格上げ」され、そこにまた多額の県費が投入されていく。
動物愛護は確かに大事だ。殺処分をしたい人間などいない。
しかし、そういう情緒的な問題はいったん横に置き、改修等の費用や、現在の阿仁牧場の運営実態、収支などを明らかにした上で、住民、県民の声を広く聞くべきだと私は思う。
そういう条件提示と、取捨選択の機会がないままに、なし崩し的に県費投入が続いていくこの県政運営手法は私には甚だ疑問である。
仕事で青森を訪れた。
仕事の中身についてはまた機会を改めて著わすとして、今日は仕事以外のことを少し書きたい。
夜、友人らと再会した。
平成20年度、1年限りであったが、私は「派遣職員」として、秋田県庁から青森県庁に派遣された。
東日本大震災が発生したことによって、現在、中断しているが、秋田・岩手・青森の3県は、職員を相互に派遣し合う、という交流人事を行ってきた。
環境保全、観光などは論を待たず、都道府県の行政区域を超えて対応すべき事案は多い。
道州制や広域連合、広域連携など言い表し方や形態は様々だが、要はこうした広域対応すべきものに迅速かつ的確に対応しようという意味であるし、そうしたものを見据えた交流人事を3県は積み重ねてきた。
よく、地方はどこに行っても「金太郎飴」と揶揄されるように、似たような街、似たような風景、似たような政策がままあるわけだが、実は、「役所の内部」はそれほど似ていない。
観光、土木、福祉、人事、予算・・・基本的にやるべきことは、青森県庁だろうが秋田県庁だろうが同じなのだが、「やり方」や「意志決定の手法」などがそれぞれ違う。
当然、秋田県庁スタイルに慣れていた私は、青森県庁のスタイルに全く慣れず、馴染めず、当惑するばかりだった。
まして、知り合いなど一人もいないわけで、知らない組織で知らない仕事を知らない地域のためにやっていくということの難儀さを、1年であったがつくづくと痛感したものだった。
そういう時間の中で、毎晩のように一杯飲みながら私の愚痴に付き合ってくれた当時の同僚と、逆に私が秋田県庁在職時に岩手県から派遣職員として受け入れて同職した男との久々の再会であった。
一人の男とは、青森を去るときに「いつか、それぞれ県庁を背負うぐらい大きくなって、また一緒に仕事をしような」と約束したのだが、私のほうがその約束を破ってドロップアウトしてしまった。
もう一人の男には、彼が秋田を去るときに、「これを持っていけ。被災した故郷のために頑張れ」と、自分が震災後、ボランティアとして炊き出しに行ったときに着ていたスタジアムジャンパーを渡したが、その彼も伴侶を得て幸せな家庭を今築いた。
今、3県交流は前述のような事情によって中断している。
自分が育ってきた組織を出て、別の組織、別の地域で働くという経験は、ハードなものだが得難い糧となると私は思っている。
また再開することを心から期待している。
その一方で。
盛岡市から陸前高田市に「復興支援」のために派遣されていた市職員が自殺したとの報道が最近あった。
同じ岩手県内でさえも、別の組織で、「復興」という大きな使命を背負って働くことの困難さがそこにあったのか、「希望して被災地に行ったが役に立てず申し訳ない」との遺書からその心中の全てを読み取ることはできない。
しかし、御家族の方はもちろん、送り出した盛岡市の上司、同僚、友人ら、受け入れた陸前高田市の職員の方々の気持ちを想うと、ただただ心が痛い。
秋田県庁から、福島県に派遣されている職員の方々がいる。
困難な仕事に困難な環境の中で従事しているが、プロの行政マンとしての誇りや責任感があるからこそ続けられる、そのマインドに心から敬意を表したい。
今週、仕事で福島を訪れる予定にしている。
昔、一緒に仕事をした仲間も今、福島で仕事をしている。顔を見て、少しだけ語り合ってこようと思う。
しっかり仕事をして、元気に秋田に帰ってきてもらいたいし、被災地から学び取ったものを県政にとことん活かしてもらいたい。
秋田県としても、被災地を支援する、というだけではなく、被災地から学び取る、ということも、そうした派遣職員の知見、経験を通じて戦略的にやっていかなくてはならないだろう。