長く一緒に活動をしてきた仲間であり、私にとっては信頼できる兄貴のような男が突然亡くなった。
県庁職員時代、秋田の将来を考える研究会というものを一年間やらせていただいた。
年齢や立場を問わずに集まった官民協働のこのグループでは、彼は常に前向きな考え、提言をしてくれて、研究会をマネジメントする立場にあった私は、本当に助けられた。
そして何より、私自身が会員としてもう7、8年活動に参加しているNPO法人においても、頼りになるリーダーであり、悩んだとき、活動が行き詰まりかけたとき、常に周囲を鼓舞してくれた。メンバー誰しもが慕っていた。
私が県庁を辞めて選挙に出るということを、ごく親しい方々に集まってもらい相談させてもらったときにも、彼は私の挑戦を理解し、そして、非常に厳しい戦いになることを承知の上で、全力で応援すると言ってくれた。
まだ40代の早すぎる死。
秋田の将来を考えたとき、彼は絶対に必要な人材であった。
私たちNPOが活動を続け、成果を手にする日には共に喜びを分かち合いたい男であった。
私自身のこれからの政治活動において、常に私を鼓舞し、叱咤し、誤りがあれば遠慮なく正してほしい先輩であった。
今、こうしてこれを書いている瞬間にも、一週間前に見たばかりの彼の笑顔と、そのときに「去年はいろいろ大変だったな、肩を落とさずに今年は頑張れ」と言ってくれた暖かい言葉を思い出し、涙があふれる。
議員になり、葬儀に出席する機会はずいぶん多くなったし、そのつど、お亡くなりになった方に生き様や、ご遺族、ご友人の心にふれ、涙がこぼれるが、今回の彼の葬儀は私にとってはまた格段につらいものになるだろう。
彼の遺影に向き合うその日の自分を未だ理解できないでいる。
なぜ、こうも惜しいやつだけが早々と逝ってしまうのか。
一緒に秋田を変えようと約束したじゃないか。
勝手に逝くんじゃないよ。
あなたがやらんで誰がやるのだ。
年末年始、秋田市内でいろいろな方とお会いする機会があったが、頻出するのは、「除雪」のこと。
毎年恒例のことでもあるのだが、年末年始、秋田市では例年以上の積雪があり、雪寄せにまつわるケガや交通事故なども例年以上に多発しているということもあり、市民の方々の厳しい口調、論調が大半だ。
よく横手市の除雪の素晴らしさと比較され、秋田市はダメだ、というような話にもなりがちだが、道路延長や人口規模、都市計画などがあまりにも違い過ぎてただちに優劣はつけがたい。
とはいえ、お隣の青森県青森市も人口は30万、私も青森に住んでいたこともあるが、青森市ではやはりもう少し除雪体制がしっかりしていたようにも思うし、個々の住宅でも駐車場にロードヒーティングを設置しているところも多く、官民ともに「雪への備え」が秋田市よりはできているようにも感じられる。
これでいい、ということはないが、こうすれば大丈夫、という特効薬もにわかに見出しがたいのが秋田市の除雪の現状と言える。
私も一市民であるが、単に不満を言うつもりはないし、すぐに解決するとも思っていないが、技術的なことも含めもう少し何とかならんもんか、とは正直思う。大方の市民の方々もそのような感覚ではないか。
ただ、私が一市民という立場を離れて、地方議員としてこのことを見たときに、つまるところ、市の予算執行というものに対する「納得性」の問題ではないかと思っている。
新聞報道などにおける秋田市長のコメントをはじめ、秋田市としては30億にもなるかもしれない除雪費というコストと、それをねん出する財源と、そして、それに対する効果ということのバランスを考えたとき、一定の制約をせざるを得ないということは理解できる。
しかし、納税者たる市民の皆様の目線から見れば、「除雪」という行政施策が、他の施策と比較してどの程度の優先性があるのか、他の経費を削ってでも除雪に回すことはできないのか、ということを考えるだろう。
除雪という施策の1つだけを取り上げて、金がかかりすぎる、きりがない、という説明ではいささか納得性が欠ける。
秋田において除雪対策は、暮らしの安全性や生命・財産の保全ということとかなり直結していることを考えれば、市民の中には他の経費を削ってでも除雪に充ててほしいと考える人もいるだろう。
県政であれ、市政であれ、限られた税金の使い道を納税者の皆さんに決めていただけるような、あるいは、予算編成の過程の透明度を高めるようなことをしていかなくては、市民の皆さんの「納得」はなかなか得られない時代になってきているのではないか、という気がする。
何を優先し、何にどれだけお金をかけるのか、その決定権をどれだけ市民の皆さんにゆだねることができるか、ということがこの「除雪」を巡る問題から読み取れるように思う。
政府が地方への「一括交付金制度」を廃止する方針だという。
一括交付金は、民主党政権の功罪が様々ある中で、「功」であったと私は思っている。
従来からあった国から地方への補助金をいくつか束ねて、大括りの中で地方自治体が自由に事業を実施できるということを目的に創設された。
補助金は、使途をはじめ様々な「縛り」が多い。
その縛りを極力外すことで、地方自治体の裁量権を広げ、「地方分権」を進めるための一里塚にしようとしたものであった。
とはいえ、この一括交付金は、まだまだ「これから」という制度であり、さらに束ねる補助金を多くし、自治体の裁量を広げ、都道府県のみならず市町村にまで対象を拡大していくということが求められていたもので、「改善」や「改良」をしながら、より地方の自主性・自立性を高める方向で進めるべきものであった。
それを自民党政権が廃止するという。
日本経済の建て直しは地域経済から、だとか、地方あっての国、だとか、地方の疲弊を何とかせねばならぬ、と総選挙の際、自民党候補者の方々は口々におっしゃっていたではないか。
秋田のために働く、と公言されていた方もいらっしゃった。
一括交付金を廃止し、従来の「補助金行政」に戻すことが果たして、地方の活性化や、地域経済の建て直しに繋がるものなのか。
はなはだ疑問に感じるし、やはり自民党の「陳情型政治」が戻ってきたか、と実感させられる。
佐竹知事は、県庁職員に対する年始の挨拶において、「自民党政権になり陳情などの風通しがよくなった」といった趣旨のお話をされたようだし、別の場では民主党政権に対して「非常に権力的なものを感じた」ともおっしゃった。
この補助金行政への後戻りこそ権力的であるし、国と地方を対等な関係にしていくことこそが自治体の首長としての責務であるとも私は思う。
この一括交付金廃止については、今後の県議会などにおいて、佐竹知事の考え、県の対応方針をしっかりと質していきたいと思う。
これだから自民党。
たった3年半で禊を終えたというならば、そんなふうに国民に言われないように、新しい政治の姿を見せていただきたいものだ。