唐突であるが、一言で「政治家」とか「政治」と言っても、その役割はそれぞれ違うと私は考えている。
たとえば、市長や知事などは一種の大統領のようなものであり、責任も重いが、決定権も大きい。
知事は、県全体の大きな方向性、市町村がバラバラにやるよりも県が実施したほうが効果的な産業振興や基幹的なインフラ整備などに取り組むべきだろう。
市町村長は、もちろん産業振興やインフラ整備も大事だが、やはり一番は、住民の暮らしを支えることである。福祉や地域コミュニティの維持、除雪なども含め、「生活」にどれだけ密着できるか、ということだと思う。
ただ、いずれも政策や方針を決定し、迅速に実施すること、が政治家としての根幹的な役割だ。
総理大臣ももちろん大きな執行権を持っているが、国という統治機構は大変に複雑で、しかも、国会議員による議員内閣制ということもあり、首長ほど「右から左」というふうにはいかない。
そして、各国会議員は与党であれば与党の一員、政府の一員として「執行権」に携わることができるが、野党であれば、執行権を持たないという違いがあるが、いずれにせよ、国会の最大の役割は「立法」であり、年金、介護、医療などの社会保障や外交・防衛なども含め、あらゆる制度・法律の設計を行っていくのがその役割である。
端的に言えば、首長は政策実行、国会議員は立法・設計がその役割ということになろう。
では、地方議員の役割は何か。
これに完全なる答えはないかもしれないが、私は監視機能だと思っている。
自治体の膨大な予算や事業をチェックし、問題点があれば指摘し、現場の実態を踏まえて提言をし、あるいは、他県の先進事例を学び、政策にしていく。
こうした役割の出発点は、「チェック」だ。
チェックができなければ、何が足りないか、何が必要か、どんな政策や事業が必要かもわからない。
チェックなき提言は、ときに「たわ言」のなり、チェックなき学びは、往々にして「無駄」に終わる。
2月議会が開会して数日経過した。毎日こもって予算書とにらめっこしている。
決算書との比較、昨年度の予算書との比較、その事業に関わった民間事業者の方々のお話を伺う。
県議会議員は45人おり、多士済々ではあるが、私自身としては「チェック」という働きにおいては、誰にも負けないようにやりたいという気持ちで机に向かっている。
先般の政務調査費についても、私自身は政務調査費を増額してほしいとはまったく思わないが、スタッフが欲しいとは思う。
国会議員は公費で3人の秘書が用意される。
県議会議員はゼロ。
特別会計合わせて9000億になる秋田県財政だが、これをちゃんとチェックしようとすれば、各議員に1人ぐらいはスタッフを配置しても良いのではないかと率直に思う。
今の政務調査費では雇用できたとしてもアルバイト程度。
とはいえ、そうしたスタッフを公費で用意するとなれば、その人件費分、実質的に県費の負担が増えるから、実現はなかなか難しいだろう。
スタッフなしで存分にチェック機能を果たすとなれば、私が今思うことはただ1つ。
「時間が欲しい」
3万円の増額より、1日がもう3時間あったら、27時間であったら、と思ってしまうのである。
さて、今日も書類と格闘。
我々、地方議員には「政務調査費」というものが支給されていることは県民の皆様もご承知のことと思う。
市町村と都道府県でも金額の差があり、都道府県の間でも金額の差がある。
この政務調査費は、議員の活動を経済的に支えることを目的として支給されている。
使い道を例示すれば、たとえば、事務所を借りれば、その賃料・光熱費・電話代・消耗品などの維持経費。スタッフを雇用すればその人件費。議員自身が研修会に参加したり調査活動を行ったりするときの交通費や参加費など。そして、県民の皆様に広報紙やホームページで活動報告をするときにはその作成・印刷・配布代など。
当然のことだが、どこかの居酒屋で飲み食いした、などというのは対象外である。
この政務調査費、現在、秋田県議会議員には、議員個人に月25万円が支給されている。
この政務調査費は、地方自治法という国の法律で定められているのだが、自治法が改正され、「政務活動費」と名称が変わった。
名称が変わったのは、使い道が見直されることになったからだ。
「調査」だけに限定せず、もう少し議員の政務活動を広く認めてもよいのではないか、という理由からだ。
これも一例を挙げれば、たとえば、これまでは研修会に参加することはできても、議員自身が研修会を開催する費用は政務調査費からは支出できなかった。
しかし、こうした研修会も地域住民との意見交換や、政策立案のためには有益な手段な1つであり、「調査活動」ではないが、「政務活動」としては認めてもよい、そういうふうに変わった。
この地方自治法改正を受けて、全国の地方議会で使い道の細かな見直し(拡充)が図られることになる。
さて、ここまでは前段。
この25万円の政務調査費を、この機会に、増額したいという提案が自民党会派からあった。
政務調査費の使い道や金額などは、議会運営委員会という各会派の代表が集まる場で協議されるのだが、その委員会の場で自民党会派から提案があった。
理由としては、「もっと政務活動を充実させたい。その費用が今の25万円では足りない。」ということであった。
私個人の政務調査費に関する考え方は日を改めて書いたほうが判りやすいと思うので、今日は事実を書くだけに留めたいと思うが、その増額提案があった際、各会派はそれぞれの会派の意見を述べた。
自民党以外の会派は全て「増額すべきではない。」、「県民の理解が得られない。」との意見であった。
そうした各会派の意見を再び持ち帰って、各会派で協議をしましょう、ということになった。
その結果を再度持ち寄ったのが今日の議会運営委員会であった。
自民党会派からは再び、「3万円の増額を」との提案。これはつまり、他の会派全てが「増額反対」との意見であったことを持ち帰ってなお、自民党としてこうした提案としてまとまったという意味になる。
他会派はやはり増額反対。
こうなると完全に平行線であり、議会運営委員会としては「まとまらなかった」ということで、あとは自民党会派が単独で「増額」の条例案を本会議に提案するかどうかにかかってくる。
あるいは、他会派からの2度にわたる増額反対の意思を重く受け止め、自民党会派が増額を諦めるか。
仮に、自民党会派が増額の条例案を提案すれば、自民党会派は目下、議会において単独過半数を占めているため、賛成多数で条例案可決と相成る。
来週、このことで3度目の議会運営委員会が開かれることになった。
おそらく何度開催しても、増額賛成にまわる会派はないのではないかと思う。
あとは、自民党会派の結論を待ちたい。
もし、自民党単独で条例改正案を出すということになれば、当会派としては当然ながら採決では反対にまわることになるし、反対討論を行って県民の皆様の前で堂々と論戦をしたいと思っている。
先日、予算全体のことについて長々と書いた。
今日は、公共事業のことを簡潔に書きたいと思う。
地方で行われる公共事業は、大きく分けて3つの種類がある。
1つは、国からの補助金をもらって行う「国庫補助事業」。
2つめは、国からの補助金に頼らずに地方自らが行う「地方単独事業」。
そして3つめが、国自らが、国の事業として行う「国直轄事業」だ。
24年度当初予算では、公共事業の総額は約700億円。主な内訳は、補助事業が約400億、単独事業が170億、直轄事業が80億程度となっている。
25年度は、先般書いたように、25年度に実施するはずだった公共事業が、「アベノミクス」によって、24年度補正予算に前倒しされているのだが、こうした前倒しなどの分も含めた公共事業総額は、約930億円程度を見込んでいる。
補助事業は昨年度の400億円に比較し、1.5倍の600億円。
大幅増だ。
そして、この補助事業は当然のことながら「地方負担」がある。
国が補助してくれるとはいえ、自治体も持ち出しがあるのだ。道路や河川など事業の種類によって「持ち出し割合」は異なるが、補助事業の総額が昨年度の1.5倍になるならば、県の持ち出しも1.5倍になるというのが単純な理屈になる。
安倍政権は、この地方負担分についても、国がお金を出して、ほとんど地方負担なしで事業ができるようにしようと今検討している。「交付金」と称して。
仮に、秋田県の負担がほとんどなしで、昨年度の1.5倍の公共事業ができるなら、こんなに嬉しいことはない。カップラーメンや牛丼の「大盛り」、価格据え置きのようなものだ。
秋田県財政としても大助かりだ。建設会社を中心に、昨年度よりも発注も増えるだろう。
いいことずくめ。
そう言っていいだろうか。
国からの補助金も、地方負担をなくす交付金も、いずれも現在の国民の「税金」と、将来の国民からの「借金」であり、将来世代からの借金の割合は一段と高まった。
秋田県の持ち出しが少ないからいい、ではなく、将来世代に対する説明責任を果たすという意味で、1.5倍の事業量となる公共事業について、効果や必要性を丹念に議論していくことが我々議員の責任だろうという気がしている。
私個人としては、地方自治体の負担がほとんどなくなるような交付金には疑問を感じる。
地方自治体の財政規律や住民への説明責任が甘くなるようなことがあってはならないとも思う。
国だろうと地方だろうと、借金は借金、税金は税金。それを払っているのは国民であり、県民であり、住民であるから。国の金だからいいだろう、という意識だけは捨てておきたい。