政治家には覚悟が必要だ。
覚悟の種類にはいろいろなことがあるが、政治家として一番最初に行う「覚悟」は、立候補するという覚悟だろう。
立候補に至るきっかけや動機、目的などは人それぞれだ。私自身、今から10年前に政治を志していたか、と言われればノーだ。
県政に対する焦り、ふるさとへの想い、県庁の体制そのものへの疑問・・・いろいろと積み重なった内心はあったし、「一緒にやらないか」と熱を持ってお話してくださった方がいなければ、その内心の思いを行動に変えるチャンスは訪れなかったかもしれない。
しかし、間違ってはいけないのは、どんな誘いや、どんなきっかけも所詮それは外的要因であり、機会でしかなく、その機会を前にしたときに、行動に移すかどうか、決断するかどうかは本人の意思でしかないということだ。
立候補すれば必ず当選できるわけではない。落選も当然の想定だ。
立候補したことを何かのせいにしたり、落選したことを誰かのせいにするようでは、そもそも政治家としての適格性がないと私は思っている。
民主党は、政権を取る際に、大量の国会議員、新人議員を生み出したが、民主党所属の地方議員が呆れるほどの脆さとスピードで、野党に転落し、所属の国会議員も激減することとなった。所属議員が激減すれば政党交付金も減る。カネが減れば、ますます党の力は弱まる。
今、民主党は衆院選、参院選で落選した大量の元国会議員らについて、「国政に再挑戦させる」人間の選抜・選考を行っている。
政党交付金が激減した今、落選した国会議員の全てを抱え込んで、活動費を支給し、再挑戦させる余裕はないし、何より、それに値しない国会議員もいたことは確かだ。
この選考・選抜は相当に厳しいものになるということは覚悟せざるを得ないが、私は、民主党からもう一度国会に挑もうという落選議員の方々に強く言いたい。
「覚悟」を持っていただきたい、と。
民主党を本当に立て直そうと思うならば、覚悟のない人たちにはこの際去ってもらったほうがよい。地べたを這ってでも、味噌を舐めってでももう一度、国政に挑み、そして、勝利し、再び国民のために、日本のために働こうという情熱を持った人のみに、再挑戦していただきたいと思う。
さる衆院選の際に、秋田3区から出馬し、落選した民主党公認候補が、自らの選挙をサポートしたスタッフなどを告発するという事態が起きた。
民主党が険しい再生の道を歩もうとしている矢先に大変残念なことだが、私個人としては、その方の主張には何の正当性もないと思っている。
その方の一方的な主張に対しては、こちらも堂々と反論をしていくべきだとも思っている。
主張の中身1つ1つについて、ここで詳しく書くことは各方面に差しさわりがあるため控えるが、1つだけ言えることは、どんなに誰から出馬要請されようとも、最後に出馬を決断するのは自分だし、その結果の責任を含め、選挙全般に関する最終的な責任者は候補者本人であるということだ。
私自身、その方の選挙の際に、その方を誠心誠意応援し、それぞれ与えられた仕事を全力で行っていた方々の苦労を目の当たりにしてきただけに、今現在、そうした選挙の最終責任者としての自らの責任を一顧だにせず、全てを誰かのせい、何かのせいにしようとしているかのような姿勢には憤りすら感じるというのが私の正直な気持ちだ。
警察当局が捜査をしている事案もあるが、いずれどういう結論になるにせよ、誤ったこと、法に反することがあったならば、それは然るべき者が責任を取らねばならないし、言われなき誹謗中傷に対しては毅然とした態度を取っていくことが極めて重要なことだろう。
こういうときこそ、私も「覚悟」を持って、自らの職務において言うべきことを言い、やるべきことをためらわずにやっていこうと思う。
昨日、投開票が行われた横手市議会議員選挙。
民主党の推薦候補である高橋かずき氏が、1692票をいただき当選することができた。
26人の当選者のうち、1700票前後に10人がひしめきあうという激戦であり、1票の重さというものを改めて痛感する結果となった。
私自身は、ほとんど選挙の現場に関わることができなかったが、横手選出の小原県議をはじめ、前参議院議員の松浦大悟さんも現地で選挙活動を行い、何とか民主党候補を当選に導くことができたことは本当に嬉しく思っている。
民主党の再生の道のりは長く険しいが、巨大で強大となった自民党の政治のありようを見るにつけ、民主党がここで踏ん張らねば、という私自身の思いは益々強くなっているし、そういう意味でも、地方組織を1つ1つ強くしていく取組こそが重要であるとも考えてきたから、この横手市議会議員選挙の勝利は小さな勝利ではあるが、衆院選・参院選と敗北を続けてきた民主党にとっては、大きな一歩であると思っている。
今後も、全県各地での地方議員選挙などで、民主党としての戦いをしっかりとやっていきたいと思う。
また、同時に投開票が行われた横手市長選についても一言触れたい。
おそらく、選挙に関わった方々、あるいは投票した有権者自身も想定していなかったような、ある意味で驚きを持って受け止められた選挙結果であったと思う。
現職の多選に対する批判や、市町村合併後の郡部の疲弊に対する危機感など、いろいろなものが重なったのだろうとは思うが、秋田市長選との対比で見つめたとき、「空気のある選挙」と「空気のない選挙」の違いを私自身は強く感じた。
非常に表現しづらいが、投票する側に、「空気」や「うねり」のようなものがあるときには、必ずしも組織力がなくとも、知名度がなくても、そのうねりが自然に高まるような形での選挙ができるが、そうした空気が有権者の側にないときには、候補者側でそうしたものを人工的に作り出さなくてはいけないという状況が生まれ、非常に難しい選挙となる。
政治離れや、投票率の低下という状況がより強くなってきている中で、政治側が人工的に設定する「争点」はあまり通用しなくなってきているのかもしれない。
いずれ、30代の市長が誕生したことは、思想や党派の違いなどがあったとしても、歓迎すべきことである。誰が市長になっても、地方が抱える課題の解決は困難を極めることは確かであるので、せめて、しがらみに捉われず、守りに入らず、存分に情熱と志をぶつけていただきたいと思っている。
自ら志願し、困難な道のスタートラインに立った新市長に、心からエールを送りたい。
臨時国会が始まった。
歯切れだけはいいが、中身のない安倍総理の答弁が目立つ。
そのことはさておき。振り返りになってしまうが、9月議会の総括審査で私が取り上げた消費税増税と法人税減税について今日は書こうと思う。
消費税が5%から8%に上がれば、家計の負担は増える。日本全体での家計負担の増は6兆円とも言われているが、果たして、秋田県内の家計負担はいくら増えるのか。試算では約460億円となった。
一方で、安倍内閣は何とかして法人税減税を実現したいと躍起になっている。
今のところ、法人税に上乗せされている「復興特別税」の廃止といったことが打ち出されている。我々国民も一人ひとり、復興のための財源ねん出ということで上乗せ課税されているのだが、個人のほうはその負担をそのままにし、法人のほうだけ負担を廃止しようという考えにはあきれ果てるばかりだが、この復興特別税の廃止によって、県内企業がいかほど税負担が軽くなるかと言えば、これは約15億円と試算されている。
税務署統計では、秋田県内には15000社の企業があり、そのうち4400社が法人税を納めている。つまり、7割の企業がそもそも法人税を納めてないという現状があるわけで、いかなる法人減税も、「納税していない7割の企業」には何のインセンティブにもならないというのが実態である。
設備投資減税や雇用減税など、法人に対する様々な減税が今後検討されるであろうが、いずれにせよ、経済力・企業力の弱い地方ほど、企業に対する減税の恩恵よりも、消費税増税など個人の負担増の影響のほうが大きいということになる。
しかしそれであっても、その増税が社会保障の安定・充実に使われるならば、その痛みにも意味があろうというものだが、安倍政権に代わり、「景気の腰折れを防ぐ」ための法人減税や、借金を積み重ねての公共事業が行われているわけで、税金の使われどころが実体的に変節してきていると言わざるを得ないのである。
また、地方においては法人減税が景気対策にはならないことは明らかであり、本当に景気対策というならば、負担増となる家計の、その消費落ち込みを防ぐような、個人の所得減税などが導入されるべきであるが、こうしたことが政府内で議論されている形跡もない。
自民党は過去にも、公共事業と法人減税を繰り返して、経済対策を行ってきたが、私たちの給与水準は、15年前と比べて増えていない。増えたのは、国・地方の借金であり、この十数年で500兆円から1000兆円に倍増している。
消費税を3%から5%に上げたときには、個人の所得減税をセットにして、消費の冷え込みを防いだことを考えても、今回安倍総理がやろうとしている「消費増税+法人減税」というパッケージがいかにチグハグで、いかに無意味なものかおわかりになるのではないだろうか。
そして、もう1つ、金融緩和や減税よりももっと本質的な、「成長戦略」が伴ってこなければ、いかなる金融政策も、いかなる税制政策も、「無駄打ち」になるわけで、このことについても日を改めて書くことにしたい。