「議案に対する議員の賛否公開。」が決まった。
6月定例会からスタートする。
言いまわしは難しいが、なんのことはない、45人の議員が、それぞれ、県の予算案や条例案などに対して、「賛成」したのか「反対」したのか、それを県民の皆様にハッキリとお伝えしよう、ということだ。
そんなこと当たり前だろう、とおっしゃる方も多いかもしれない。
私もそう思う。
しかし、議員個人の名前まで明らかにして賛否を公開する議会は、まだ全国的に多くはない。
「誰が何に賛成をし、何に反対をしたのか、それがわからないのでは、次の選挙で誰を選べばいいか、その働きや考えを知ることができないではないか」と、民主党会派はさきの選挙で訴えてきた。
議会改革を選挙公約の大きな柱とした我が会派にとって、この議員賛否の公開は、公約の1つであり、是が非でも実現させたいことであった。
賛否の公開は、それ自体、ささやかなことのように見えるかもしれないが、議会の情報公開・情報発信、「見える化」という点では、大変大きな意味があるし、また、議員個人としても、有権者に対する説明責任を果たすことにもつながるものだからだ。
今回、会派を代表し、議会運営委員会に参加している私から、この賛否公開を提案させてもらい、その場で委員全員の了承によって即座に実施が決まったことは大変嬉しいことであるし、これを第一歩として、スピードを緩めることなく、県議会全体として議会改革を進めていきたい。
自民党会派であれ、民主党会派であれ、どの会派であれ、互いに刺激しあい、勉強をしながら、改革案を出し合い、「改革の競い合い」をしていきたいと考えている。
改革に終わりはない。そのことだけは確かだ。
さらに言えば、議員賛否の公開の先にあるものは何か、ということである。
私が思い描いているのは、45人の議員一人ひとりが、自らの思想信条や主義主張に純粋に従い、県政に対する態度を明らかにしていくことだ。
つまり、会派としての党議拘束であるとか、何らかの強制といったことをせずに、一人ひとりが自ら正しいと思う「賛否」を議会の場において堂々と主張していく、そういう議会の姿だ。
昨夜、開かれた「新人議員と語る秋田の将来」フォーラムでも、たくさん会場においでいただいた参加者の方々と熱い議論が交わされたが、その中でも、私からはこの「党議拘束なき議会」を提案させていただいた。
国政は、議員内閣制であり、政権交代がある。
「政権」があるがゆえに、そこに政権維持のための「数」が必要とあり、その数を守るための党議拘束ということになる。つまり、政権運営・維持という目的のための手段が党議拘束だ。
しかし、地方議会はどんなに多数の会派であろうと、そこに「政権」は存在しない。
国で言うところの政権はたった一人、知事にのみ存在するからだ。
だから、「政権」という目的がない地方議会において、この「党議拘束」が議員個人の主義主張を妨げる、あるいは、曲げるようなことがあるなら、大変残念なことだと思う。
そして、もう一方で、議員もまた、この「党議拘束」という盾の陰に隠れることも許されるものではない。
様々な議案、提案に対して「個人的には賛成(反対)だが、会派としては・・・」、「党議拘束があるから・・・」といった言葉で、責任の所在を曖昧にしてしまうのは有権者から見れば理解に苦しむことだろう。
こうした意味で、6月議会からスタートする「議員の賛否公開」は、議員それぞれの責任の所在を明らかにしていくという秋田県議会の意思の表れであり、その点は是非、有権者の皆様に前向きに評価していただければ、と思う。
来週にはまた、議会運営委員会が開かれ、賛否公開以外に私から提案させていただいた数項目を含む改革案について再び議論されることになっている。
こうした「中身の改革」と一体となって、「器の改革」、つまり、議会の会期の見直しや日数の増加が検討されることが必須であろうと思っている。
時々、胃が痛くなるような思いもしているが、厭わず、逃げず、曲がらず、走り続けます。
1日遅れてしまったが、昨日の報告を。
本県関係国会議員と佐竹知事以下県幹部らとの意見交換が昨日実施された。
県側からは、国の制度や予算措置などに関する要望や提案を説明し、国会議員側からは秋田県政に対する意見・提言をするというもので、毎年行われている。
その内容についての断片は、既に報道がされているが、その場に陪席した私からもう少し補足を。
今回、金田議員を除き、衆参あわせて7人の国会議員が出席したが、7人全員が「防災対策」や「震災復興」についての意見を出された。
出席者全員が同じテーマについて話すというのは県職員時代の私の記憶にもないことで、大変珍しいこと。
それほど、国会議員の方々も、秋田の今後の防災対策や経済復興などについて強い想いを持っているということだろう。
その中で、私個人として、いくつか参考になった意見をここでご紹介したい。
石井参議院議員からは「今回の震災でも避難所の衛生環境が大変問題になったが、今後、学校などを避難所として活用する場合、トイレやシャワーなどの増設などに配慮する必要がある。」との意見。
寺田学衆議院議員からは「孫社長が提唱するメガソーラープロジェクトについて、参加を表明した自治体は既に積極的に孫社長への提案・売り込みをかけている。秋田も経済的には完全に被災県。秋田でも是非積極的に声を出してもらいたい。」との意見。残念ながら、孫社長への売り込みについて、県側からは明確な答弁はなかった。
また、同様に、川口衆議院議員からも、「秋田はリサイクル・エネルギーの先進地。資源も技術もある。是非、ここから一点突破で秋田の発展につなげていってほしい」という意見も。
いずれも私も深く頷きながら拝聴した。
その中でも、とりわけ私が参考になったのは、寺田典城参議院議員の、
「国の法律も、県の条例も今回のような震災を想定していないものがある。震災が起きたときに、どういう根拠に基づいて何をやるのか、もう一度点検し、不具合があるものは条例改正を行う、あるいは、国に法律改正を求めるといったことをしていかないといけない。」との意見。(失礼だが、雄弁な方ではないので、多少、私の「解釈」も交えている・・・お許しを)
私自身、今回のような未曾有の震災が起きた時の「地方のガバナンス(統治)」のあり方がどうあるべきか、ということについて考えていた時であったため、この意見は大変心に響いた。
ここで言う「ガバナンス」という言葉は単に「行政」や「役所」を指すものではない。
県・市町村の「行政」はもちろん、議会の機能、病院・警察・交通機関の動き、様々な業界団体の役割、そしてそれは、単に「防災」や「避難」だけではなく、「復旧・復興」までも見据えた全体の枠組みでなければならない。今、本県は避難訓練はやっているが、この「ガバナンスの訓練」はやっていない。
15日から始まる6月定例県議会ではこうしたことについて、私なりに議論していきたい。
最後にもう1つ、昨日の会議の場での発言で心に残ったものが。
それは、佐竹知事が、政府の震災復興策について、
「復興特区などが議論されているが、特区は現在の国の規制を前提として、それを限定的に緩和・撤廃しようとするもの。これではダメ。むしろ、規制が全くない白紙の状態で、地方に何をどうするか任せてもらいたい。」との意見。
私は、この考え、意気込みには賛同する。
しかし、仮に、震災など有事の際、国の法律などが一切適用されなくなり(一種の無法地帯)、地方が独自の条例やルールで復旧や復興をやっていく、とすれば、それこそ、「赤信号は止まれ」といった道路交通法ですら、地方が独自に「有事法制」ならぬ「有事条例」によって、独立した法体系で動くことになる。
現行の規制(法律)を前提とせず、それが全くない状態、ゼロベースで地方に任せてくれ、と本気で言うのなら、それこそ、寺田参議院議員が言うように、国の制度・法律にどんな問題があるか、地方がどういう制度・条例でそれをカバーしていくか、1つ1つ地方の責任で洗い出していく必要があるのではないか。
意気込みだけではなく、地方政府としてのガバナンス、緻密な構築力と提案力が今問われている。そして、もちろん、それには佐竹知事のリーダーシップが欠かせないし、同時に、議会の役割と責任は決して少なくはない。
貴重な意見交換の場で、改めて身が引き締まる思いがした。
東日本大震災復興支援山形県会議。
何とも長い名称だが、お隣の山形県にはこんな組織がある。
県、市町村、建設業協会、産廃業協会、農協、漁協、銀行協会、大学、国関係機関・・・・考えられうる関係者全てを集めた一種の円卓会議である。
その目的は、国の復興構想等への提言や県としての取組などを総力を挙げて行うため、とされている。
この会議において、大変興味深い提言がいくつかされている。
そのうちの1つが、瓦礫(がれき)撤去に関するものである。
現在、被災地は膨大な瓦礫と泥に覆われている。国、自治体、ボランティアなど大変な労力がその撤去作業に割かれているが、一言で瓦礫と言っても、そこには爆発する危険性があるもの、あるいは、アスベスト飛散の恐れがあるものなど、慎重な作業を要するものも多々あり、放射能に汚染されている「放射能瓦礫」といったものもあるため、そうスイスイと進むものではない。
そうした中、環境省は瓦礫の処分を3年間で完了する方針を出した。今年度末までに全て撤去して仮置き場に移し、14年3月末までに埋め立てなどの最終処分を終えるというものだ。
この方針を基に被災県で実行計画を策定してもらうのだが、被災地のごみ処理施設だけでは不十分なため、被災地以外の自治体での受け入れも今後調整するとのこと。
山形県が提案しているのは、 「港湾機能と海上輸送を組み合わせた広域的な瓦礫処理スキーム」というものである。(これまた名称が長いが・・・役所のクセのようなものとご理解いただきたい)
簡単に言ってしまうと、被災地の瓦礫を、陸路または海路で酒田港に運び込む。そして、酒田港でその瓦礫を分別し、リサイクル可能な資材などはリサイクルの上、また酒田から海路で被災地に送り込んで、被災地での建設事業等に使用してもらう、というものだ。
今、日本海側の港湾は秋田港を含め、互いにしのぎを削っている。
ありとあらゆる知恵と工夫によって、そのポテンシャルを発揮し、プレゼンスを高めていかなければいけない中で、「瓦礫撤去」というニーズに即して、国にスキームを提案していこうという山形県の姿勢、意気込みには、本県としては危機感を覚えるところだ。
本県の佐竹知事が公務復帰を果たしたことは大変心強いことだが、その復帰会見において「瓦礫の受け入れについて国から何の連絡もない」といった趣旨の批判をされたようだ。
是非、こうした隣県の動きに後れを取ることなく、連絡を待つだけではなく、本県から積極的に提案をしていってはどうかと思う。
明日は、本県選出の国会議員と知事・執行部が一堂に会し、こうした震災復興の様々な政策についても意見交換がなされる予定となっている。
私は末席にてそのやり取りを見守るだけの立場ではあるが、秋田県のために充実した議論が行われるよう望みたい。