最近、なぜかよくモノが壊れる。
長年使っていた家のCDコンポが動かなくなり、好きなJAZZを聴く機会もすっかり減った。
次に、これまた長年使っていた腕時計が壊れた。
とある個人時計店に飛び込むと、故障原因を調べてもらうのに3分、ご主人がTPPについての持論を語ること1時間、であった。
町の時計屋さんは、珍しい、TPP賛成論者、増税賛成論者であった。
なにをもって「国民的合意形成」と言うかはさておき、少なくとも「国民的議論」にはなっている。
いよいよ野田総理が、交渉参加についての判断を下す。
これまで「安全運転」と言われたきた野田政権だが、ここからはもはやそうした言葉はあてはまらなくなるだろう。
参加してもしなくても、交渉を締結してもしなくても、どちらの道もイバラの道。時代の峠、だ。
その道を歩み始める以上、その道に日本を引き込む政治責任を背負って野田内閣は歩まなくてはいけないし、「安全」であればいい、というわけにはいかない。
議論は大いにやればいいが、3年で3人目の総理大臣、野田内閣を誕生させた民主党は、この野田内閣が国民から与えられた最後のチャンスであることを肝に銘じ、野田内閣を支えていくべきだと思う。
ひるがえって、県政。
先般の「おにぎり事件」、これまたしつこいようだが、やはり気になる。
職員に訓示を行う前、議会に対し、「県の非を早い段階から認めなかったのは、ビジネス上の戦略。補償内容が決まらないうちに非を認めれば、交渉が不利になる。」と佐竹知事はおっしゃった。
これを「戦略」と言うだろうか。
県に非があることをわかっていながら、当初から「法的手続き」をもちらつかせ、業者に全額自己負担での重い補償を負わせることを、戦略だとおっしゃるなら、これは業者叩きの「悪しき策略」と言われないだろうか。
「ビジネス上」という言葉にも疑問だ。民間対民間ならいざしらず、公平・中立・非営利の立場である地方公共団体が、受託業者と「ビジネスです」と言えるような関係であるとは思わない。
県が絡んだ補償や訴訟といったことで思い出すのは、大王製紙の誘致だ。
ああした、お互い対等の立場で交渉するような企業誘致やそれに伴う訴訟と今回のものとは訳が違うし、発注側と受注側、立場や力の差は歴然としている。
県庁は、本県において最大企業であり、県民から負託(発注)された政策や事業を行う元受けだ。
全職員を叱責するほどの業務上のミスがあったなら、それを元受けが下請けに転嫁するようなマネをしてはいけないのではないか。
22年度に県が実施した事業などについての、いわゆる「決算審査」を行うための11月議会が今日から開会しました。
開会日ということで、朝から議会棟の民主党会派控室にいましたが、午前9時頃、突如として庁内放送が・・・・
何事かと思い、聴いていると、佐竹知事が幹部職員らに訓示を始めました。
今回のおにぎりの誤表示について、おにぎり「事件」と言い、「県庁職員ってバカじゃねえか、というのが県民の素直な思い」であり、「のほほんと仕事をした」というような言葉で、職員らに猛省を求めました。
県庁を辞めた私が言うのもなんですが、多くの県庁職員はこの訓示をどう思ったでしょうか。
知事の言葉を借りれば、この「おにぎり事件」、当初から県は、委託者としての一定の責任はあるが、一義的な責任はあくまで業者側にある、と言い続けてきました。10月1日のイベント後、10月3日には即座に「法的な措置も含めて厳しく業者に対応する」と言っていました。
その後、業者側が謝罪し、その補償としてのおにぎりの配り直しなどの案が示され、それを佐竹知事も受け入れた、ということになっています。
これが、報道等などから一般県民が知る、あるいは一般の県職員が知る、今回の「おにぎり事件」の経緯の全てではないでしょうか。
なぜ、こうした県の姿勢やこれまでの説明が、一転して「県庁職員ってバカじゃねえか」というような佐竹知事自らの言葉になったのか、そこが今回の知事の訓示の中には1つも出てきません。
もちろん、私は今回の件で、県に責任があったと思っていますし、そのことは最初から十分に認めることができただけの状況だったのではないかとも思っています。
しかし、責任の一義的な所在が業者側にあると言ってきた佐竹知事が、11月議会の本会議が始まる1時間前に急に全庁放送で職員を叱咤するというのは、その流れ、姿勢として違和感を感じずにはいられません。
バカと言われるほどの手落ちがあったのか、全職員に向けてそのメッセージを発するほどの何があったのか、今までの県の説明では明らかにされていません。
4000人弱の県庁職員を叱咤するのは、社長である知事としてあって然るべきです。
しかし、これほど叱咤するならば、これまでの姿勢を変えるだけの何があったのか、その説明をマスコミを通じてではなく、直接職員にしなければ、叱咤される側は、おにぎり問題に直接かかわった一部の人間を除いて、「なぜ、急にここまで言われるのか」ということにならないでしょうか。
マスコミや農業者の方々などからの県への批判の声は当然受け止めなければなりませんが、それに押されるような形での今回の訓示だとすれば、問題発覚から既に1か月以上が経過し、業者と補償内容について合意してからも既に3週間も経過しているぶん、「遅きに失している」ということにならないでしょうか。
県庁内からは既に「議会開会前の、佐竹知事のパフォーマンス」という声も上がっているようです。
そうであってほしくはない、と思うぶん、今回の訓示の唐突さ、内容の激しさ、と、これまでの説明とのあまりの温度差に、私自身戸惑いを隠せません。
率直に言って、今回のミスそのものよりも、私はミス発覚後の県の対応にまずさを感じます。
佐竹知事をはじめ、県庁幹部の皆さん、問題が大きくなってから部下を叱責するのではなく、日頃から部下の仕事ぶりに細やかに目を配って、声をかけてあげてください。
別室に籠りきりにならず、どうか、一般の職員の方々の机をまわって、仕事の相談や悩みも気軽に話せるような、そんな声掛けをしてあげてください。
想いやプロ意識を持って仕事をしている職員はたくさんいるし、私自身がそうであったように、部長から声をかけてもらった、というだけで嬉しくなって頑張れる職員もたくさんいます。
叱咤だけではなく、部下のモティベーションを上げる、その工夫、マネジメントこそが、こうした「おにぎり問題」のようなことを未然に防ぐ、唯一の手立てだと私は思います。
何かというとすぐに分厚いマニュアルを作り、さらに事務を増やすことだけが改善策ではありません。
元部下としてのお願いをここに記して今日は終わりにします。
私は割としつこい性格をしている。
一度気になったことはとことん気になる。
9月議会で議論となった国際教養大学の東アジア調査研究センター。
いよいよ、教員の公募が今月から始まったようだ。
公募期間は1カ月。
どうしても年度途中から設置しなければならない、秋田の経済活性化のために一刻の猶予もならない、というのが県当局の説明であった。
1カ月という限られた時間の中で、最大限有能な方を採用すべきだと思うが、さて、大学ではHPに募集情報を掲載して終わり、ということではなく、全国に向けてスカウト、リクルート活動を仕掛けているだろうか、とか、着任期間が来年1月から4月の間、となっているが、仮に4月着任でもいい、ということになれば果たして9月補正予算の意味はあったのだろうか、とかそんな細かいことが気になったりする。
TPPもしつこい、と思われるかもしれないが、まさに連日「国民的に議論」されている状況で、私も日々考えさせられることがある。
農業改革も、消費税などの増税も、社会保障の問題も、自民党政権下で長く「たらいまわし」や「先送り」されてきたものばかりだ。
復興財源の償還期間も、自民党は建設国債なみの60年償還さえも想定していたようだが、どうやら25年で落ち着きそうだ。
原発問題も含め、復興は私たちの世代で解決し、成し遂げるべきであって、次の世代に負担をつけまわすようなことだけはあってはならないと私は思っている。
様々な政治課題に、それが大きければ大きいほど賛否両論あるが、議論だけなら100年経っても終わらない。今の政治に必要なことは「期限を決めて」、そこに向かって議論をしていく、行動していくことではないか。リミットなき議論は、政治家ではなく学者の方にやっていただけばよい。
「1年後に判断するから待ってくれ、というほうが話として通る」と佐竹知事はおっしゃったようだが、既に9カ国で交渉が始まり、1年後には妥結か、とさえ言われている中、さらに1年、交渉に参加もせずにただ国内で議論だけしていきましょう、というほうがましだ、という感覚は私にはない。
私は県庁職員時代、秋田の人口や経済に関する将来推計を担当していた。
ハッキリ言えるのは、明日の朝から、県境を封鎖して、県民が県外に進学や就職することを一切禁じたとしても、秋田の人口は減り続ける。子供が少なく、お年寄りが多いからだ。
そして、人口が減り続け、一人当たりの労働生産性(稼ぎ)が同じ金額ならば、秋田県全体の稼ぎも減る。
単純な話だ。
家庭でも、働き手が減り、稼ぎの額が変わらないなら、家計全体の収入は減るだろう。
これを防ぐ方法は2つしかない。
稼ぎを上げるか、働き手を増やすこと。
少子高齢化で秋田という市場が「縮小」していく以上、稼ぎを上げるには、県外や国外で稼いでくるしかない。
自然状態では現役世代が減り続ける秋田で働き手を増やそうとすれば、やや極論に言えば、首都を仙台に持ってくるとか、外国人の移民でも受け入れるなどして、秋田に人が流入してくる環境を作るしかない。
人口減少率、高齢化率が日本一というのはそういうことだ。
そういう秋田で、ただ今の米と農業を守って、現状維持を続けて、秋田の根本的な問題が解決できるとは私は思わない。
日本にとって開国が必要だというならば、私は秋田こそがその最前線ではないかと思う。
これ以上、秋田を閉鎖して一体、秋田の子どもたちにどんな秋田を遺せるというのだろう。
秋田はもはや「大阪冬の陣」。籠城しても万が一にも勝ち目はないのではないか。
東アジア調査研究センターもまさにそうした「打って出るために」、「打って出れる人材を育てるために」設置するのだと思っている。
予算が通った以上、秋田の開国を強力にバックアップするようなセンターを作ってもらいたい。